「っ!」
マズイ。あの瓦礫に埋もれて仕舞えば、間違いなくあのボウズは一瞬にして死んでしまうだろう。生きていても全身火傷で時間の問題だ。どうにか、どうにかしなければ。
そう考えたのは、本当に一瞬の出来事だった。まだ焼けていない場所に彼女とバッグを投げ出し、オレは落ちてくる瓦礫を避け、瓦礫に潰されそうになったボウズを片手で掬い上げた。
「ぐぅ…っ」
だが、瓦礫は次々に落ちてくる。オレの肩と、背中を焼いた瓦礫を払い落とし、オレはボウズの体を片手で抱くと、痛む肩に危うい状態の青蘭と自分のバッグを担ぎ上げ、全速力で廊下を走った。
「し、白鳥け…」
声を挙げたボウズに、オレは答えなかった。この城はいつの間にか、壁を舐め上げる炎でいっぱいになっている。もう一瞬の猶予もなかった。
「ちが、こっちは…」
幼い頃、冒険と称して夏美さんとこの城を駆け回った記憶が、オレを支えていた。城の全てと言いたくなるほど、城を駆けずり回り、あっちこっちと見て回った。
「しら、白鳥刑事!此処からじゃ、もう下りられない!」
「…しばらく、歯を食いしばって居て下さい、コナン君」
「…は?」
「でないと、舌を噛みますから」
何とか燃え切ってない程度のその部屋を走り抜け、オレは窓に向かって突っ込んだ。
「う……わ、ぁぁっ」
「…………」
まだ割れていなかった窓は、突っ込んだお陰で粉々に砕け散った。二人を抱えたままだったからバランスを取りにくかったが、オレは無事、正面扉のマーキー(庇)の上へと着地した。
「コナン君、少し此処に居てくれますか?」
「……は?」
理解してないボウズをマーキーの上に置き去りにして、オレは青蘭さんを抱えたままそこから飛び降りた。
「っ、し、白鳥刑事っ!」
片手で彼女を支え、もう片手をマーキーを支える柱に滑らせ、勢いを殺してから地面へと着地する。
彼女を地に寝かせると、オレはすぐに立ち上がり、ボウズに向かって手を伸ばした。
「コナン君!」
一瞬引きはしたが、ボウズは直ぐに意図を理解したらしい。すぐにそこから身を躍らせた。真っ直ぐに落ちてきたボウズを両手でしっかりとキャッチし、オレは彼を地面に立たせた。
「コナン君、大丈夫かい?」
動悸が酷いのか、彼は荒く息を吐いていた。それも仕方がないだろう。中は本当に酸素が足りなくなるほど炎が燃えさかっていたのだから。
オレは話し掛けながら彼を立たせ、肩や背中、靴までポンポンと煤を軽く払ってやった。
「あ…え、ええ…」
「此処は危ない。離れよう。…一人で歩けるかい?」
「あ、はいっ」
まだ呆然としているボウズを置いて、オレは青蘭を抱きかかえた。そうしてボウズを促し、車の置いてある正面の広場へと戻る。車に青蘭を乗せた後、そのまま自分のバッグの中から携帯を取り出して、消防に住所を言い、現状を説明した。
車のドアを閉めようとしたところで、忘れ物を思い出した。きっと、彼女のバッグに入っているのだろう。少し丸く膨れ上がっている。
「コナン君」
ボウズは阿笠のビートルに腰掛けたまま城を呆然と眺め、まだ荒く息を吐いていた。その彼に声を掛けると、取り出した忘れ物を差し出す。…インペリアルイースターエッグ・メモリーズを。
「これは…」
「…夏美さんに、渡しておいて下さい。私はこれから、彼女を署に連行しますから」
「…白鳥刑事……もしかして」
「じゃ、私はこれで」
微かに笑みを浮かべた後、オレはさっさと車に乗り込んだ。
ここはさっさと退くべし、ってね。長居は無用。
警察官らしくシートベルトをし、エンジンを掛けたところでボウズが走り寄ってきた。
「白鳥刑事!」
オレは窓を開け、ニッと微笑ってみせるとさっさと車を発進させた。
こちらを睨み付け、どこか戸惑い顔の名探偵を置いて。
正直、あの城が燃えるところなんて、あまり見たくなかったのに。
寄り掛かると背中が痛い。大分火傷をしたらしいとオレは嘆息した。車を出した瞬間、多少張りつめていた気が抜けたらしい。オレもうあちこちボロボロ、とか思いながらアクセルをぎゅうと踏み込む。 青蘭は三十分ほどすると、意識を取り戻した。
「アンタは…白鳥刑事」
「抵抗は無用ですよ。ノンストップで警視庁まで走らせますから」
「…………」
オレの言葉に反論せず、青蘭は後部座席で諦めたように目を閉じた。バックミラーでそれを確認すると、オレは更にスピードを上げて高速を突っ走った。
急ぐのにはワケがある。
アクセルをずっと踏み込んでいた所為か、四十分ほどで首都高速に乗ることが出来た。
「…あのボウヤ」
首都高に入ってから、ぼそりと青蘭が呟いた。
「何者なんだい」
「彼自身が言っていたでしょう。探偵です」
「あんな小さなボウヤがかい?」
「ええ。世の中、不可思議な存在と言うのは幾らでも居るものですよ」
見掛けだけ見れば、本当に彼は不可思議な存在だろう。
それきり、青蘭は口を開かなかった。
車は無事、警視庁に滑り込んだ。そろそろ白鳥刑事の休暇が終わる頃だ。出会わない事を祈るしかないな。
「あっ、お疲れさまです!」
ビシリ、と入り口の警官が敬礼をした。オレも軽く敬礼を返して、中に入る。
「ああ、白鳥警部補!」
入った途端、誰かに呼び止められた。
…ああ、同じ課の、高木刑事だ。
「高木刑事。目暮警部は?」
「今ちょっと外へ…。そちらの女性は?」
「…………」
…高木でもいっか。問題ないだろ。
「彼女は浦思青蘭。大阪の怪盗キッド狙撃事件及び、寒川竜、乾将一殺害の犯人です」
「え…ってことは、つまり…」
「ええ、彼女がスコーピオンですよ」
青蘭がふん、とばかりに横を向いた。逃げる気は無いらしい。良いことだ。
「私はこれから小用が在るので…ちょっと席を外しますから、後はよろしくお願いします」
「あ…はっ、解りましたっ!」
ビシ、と敬礼して高木が答えた。
彼に鍵を返した後、エレベーターに入っていったのを見送ってから、オレは外に出た。
これで、白鳥警部補は終わりだ。オレは近くに停めっぱなしにしていた自分の車に戻ると、すぐに警視庁を離れた。
警察なんか、どんな事情であれ長居するもんじゃない。
「さーて、と」
運転しながら、白鳥警部補の顔を剥いだ。ようやくオレに戻ったーっ!と思うとほっとする。今回の事件はこれで幕になるわけだから。
…だけど。
オレはオービスの無い道を選び、アクセルをベタ踏みした。ドリフトやらグリップ走行やらを駆使して、全速力で米花市に入った。
今日は深夜ッから予告状の無い盗みばっかりだよな、まったく。
ま、いいや。どっちもまるっきり人の為だから。
…ああ、手近なとこに寄って、仕込みもしていかなきゃな。ああ、面倒。
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