中は予想通り、暗く、埃だらけで、黴臭かった。空気が少々澱んでいた。
螺旋階段を路なりに下りていく。誰もが辺りを見回すだけで何も言わず、コツコツと足音が響くばかりだった。
そうして階段が終わり、平地になったところで、ようやくセルゲイが口を開いた。
「…それにしても夏美さん」
「はい?」
「どうしてパスワードが『世紀末の魔術師』だったんでしょう?」
世間話のつもりなのか、それとも気になっていたのか、それは解らなかった。
「多分、曾祖父がそう呼ばれていたんだと思います。曾祖父は一九〇〇年のパリ万博に、十六歳でからくり人形を出品し、そのままロシアに渡ったと聞いています」
「なるほど、一九〇〇年と言えば、まさに世紀末ですな」
それだけ才能があり、展望の広かった人物だったのだろう。一九〇〇年と言えば、日本では明治三十三年。まだ、日本が世界に開けてから歴史が浅かった頃の事だ。そんな中、十六歳と言う若さでパリ万博に出品する事が出来、更にロシアに渡る事の出来た香坂喜市と言う人の才能は、本当に素晴らしかったと言っていいだろう。
そうしてファベルジェの工房で細工職人になり、彼は皇帝とお近付きになり…やがて、彼女と出会った。
―――きっとそれが、全ての始まりだったんだろう。
道なりに真っ直ぐ歩いていくと、やがて天井の高い、広いホールのような場所に出た。
「ほぉ…まだ先があるのか、随分深いんだな…」
愚痴るように毛利が呟く。広いホールの所為か、少し響いて聞こえた。
「……ん?」
カラカラ。そんな、礫の崩れる音が、本当に小さく聞こえた。それに真っ先に反応したのは、ボウズだ。
「どうしたの?」
「…今、微かに物音が…」
「スコーピオンか!?」
そんな筈はないだろう。ヤツがこの城にそこまで精通しているとは思えない。
第一、疑わしいメンバーは全員、ここに揃っているんだし。
「ボク、見てくる!」
「コナンくん!」
慌てて後を追おうとした蘭さんを、オレは片手で制した。
「私が行きます!毛利さんは、皆さんとここにいてください!」
「解った!」
横道は時折カーブしながら伸びていた。オレはボウズの後に付き、コツコツと響く足音を聞きながら先を照らした。オレたちが入ってきたから何かが崩れる…と言うのは、確かに不自然だ。誰かが居るのだと仮定した方が、しっくり来る。問題は…一体誰が居るのか、と言う点だ。
やがて、向こうから微かに光が見えた。…太陽光じゃなさそうだな…。
「……ああっ、オマエら!」
「コナンくん!」
嬉しそうに答えた声は…先ほど、阿笠と言う博士と一緒に来た子供たちだった。
…コイツらか、音のヌシは。何かと思ったぜ…。
「ったく…」
ボウズが呟いたその言葉を、オレも心の中でそっくりそのまま繰り返した。
「あのねっ、お城のハズレにあった塔がねっ」
「博士が壁に手をついたら、いきなり滑り落ちたんですよぉ〜」
「みんなでオレの上に落ちてくるんだぜぇ」
皆の元へ帰る最中、彼らはそうした楽しげな口調で、何故自分たちがここに居るのかに付いて、蕩々と語って見せた。
子供たちはどうも、この「宝探し」に参加出来たことがよほど嬉しかったのだろう、先に進み出した途端、歌を歌いながら大きく手を振って歩いていた。
調子っぱずれの歌が、ガンガンと地下道内に響き渡る。
「どーいうつもりなんだ、コイツら…」
呆れたように毛利が言う。
「いいじゃないですか、毛利さん…大勢の方が楽しくて」
「しかしィ…」
年がら年中引率者を勤めているのであろうか、毛利はブツブツと文句を呟いていた。
ま、夏美さんの説得には応じているようだから、問題はないんだろう。
そんな楽しそうな彼らの前で、真っ直ぐ先を照らしていたオレは、正面の壁に眉を上げた。
「あれ?」
「行き止まり…」
目の前には、たくさんの鳥が描かれた壁が、大きく立ち塞がっていたのだ。
右にも、左にも道はない。
「通路をどこかで間違えたのかしら…」
「そんな筈はありません!」
青蘭さんの言葉を、オレは即座に否定した。
「通路は一本道でしたから」
分かれ道は、精々この子供たちが来た、あの道くらいだった。暗いと言っても、オレは夜目が利く方だ。それだけは間違いないと言い切れた。
だとすると、一体どう言うことだ?
「わぁ、鳥がいっぱい!」
「あれ、変ですね、大きな鳥だけ頭が二つありますよ?」
子供たちが無邪気に壁を見る。
頭が二つ…つまり、
「双頭の鷲…皇帝の紋章ね」
ぴくりと、オレは思わず肩を動かしてしまった。
そう呟いた主は、先ほど合流した子供たちの一人…確か、阿笠家に住む子供の…灰原哀だ。
皇帝の紋章が「双頭の鷲」である事は、別段珍しいことでもない。国営放送で良くやるスペシャルを欠かさず見ていれば、一度くらいは「ロマノフ王朝」やら「ロシア革命」やら、様々な機会で知り得る事は出来るだろう。
…だが、その事実を、わずか6,7歳の小学生が知り得ている事が、果たして「普通」と一括りにして良いのだろうか?
コレを呟いたのが「江戸川コナン」であれば、オレはここまで不可思議に思わなかっただろう。
彼は「探偵」であり、「工藤新一」だからだ。
「ああ…王冠の後ろにあるのは太陽か。太陽……光………、もしかしたら!」
言葉を受けたボウズは、しばらくブツブツと独り言を言っていたが、やがてオレの元へ走り寄ってきた。
「白鳥さん、あの双頭の鷲の王冠に、ライトの光を細くして当ててみて!」
「あ、ああ…」
何か確信するところがあったらしい。
オレは言われた通りライトを二段階ほど細くして、太陽の輪郭に合わせるように王冠へ向かって光を注いだ。
二、三秒後、王冠に付いていた五つの宝石が、強く光を放ち始める。それと同時に、地面の奥が深く律動を始める。
「何だ!?」
ガコ、とボウズの立っていた地面が、四角に切り取られ、沈み始めた。
「みんな、下がって!」
好奇心で覗き込もうとする子供たちを手で制した後、オレは呆然と沈み行く地面を見つめた。
ボウズはその場でしゃがみ込み、バランスを取ったままじっと前を睨み付けている。その先には…
「入り口……なるほど」
呆然とした所為か、オレは小さく呟いて目の前の壁を見つめた。
「この王冠には、光度計が仕組まれていると言うわけか…」
多分、漠然と光を当てただけじゃダメなのだろう。有る一定以上の強さを持った光が必要だった。その光をキーにして、この入り口が開く様に仕組まれているのだ。
一発で見抜いてしまった探偵の力量に舌を巻いていると、ぐらりとオレの立っていた地が揺れた。
慌てて飛び退くと、今度は沈んだ地面の手前が、左右に大きく割れ始めた。これは…階段だ。
完全に開ききったのを確認してから、オレは王冠からライトを外した。そのまま下へとずらすと、ボウズが地の底でこちらを見上げているのが見える。
「スッゲー…」
「な、なんて仕掛けだ…」
香坂喜市が戻って来たのは、今から八十年ほど前の話だ。当時の技術でここまでする事が出来るのかと、オレは心の底から感心した。
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