翌朝。
到着して早々、オレを含めた計八人は、横須賀にある香坂家所有の城へ向かうこととなった。
目暮警部を初めとする警視庁の面々は、事件報告を兼ねて一度警視庁に戻る為、ここから先、警察は「白鳥警部補」ただ一人だ。
…無論、その白鳥警部補はオレなわけだから、警察は皆無、と言うことになる。
あらかじめ目暮警部が頼んで置いたらしい警察の公用車(クラウンだよ、警察金掛けてるなァ)と、呼んでおいたタクシー一台にそれぞれ別れて乗り込む事となった。
勿論、公用車を運転するのはオレだ。「白鳥警部補」は免許を持ってるからな。
…オレは無免許だけど、まあ問題ない。止められたら、用意してある偽の警察手帳を見せれば済むことだ。使うことないだろうけど。
当面の問題は、視力が皆無に等しい右目だ。視野が酷く狭くなっているから、運転には正直言って向いてない。…が、そんな事を承知しているのはオレのみって事になるし、白鳥警部補は視力も悪くない。…ま、何とかなるだろ。
こちらに乗り込んだのは、夏美さんと彼女の執事である沢部さん、それから、浦思青蘭と名乗るロマノフ王朝の研究家だ。
…この青蘭さん、どうも気に掛かる。別に彼女が美人だからとかそう言う訳でなく。
大体、なんなんだよその名前。中国人だって言うなら、2文字の苗字っておかしくないか?中国に関しちゃ良くわかんねーけど、大概苗字って1文字じゃん。なんか、偽名っぽい。
その上。こりゃ全く持ってオレの勘なんだけど、彼女……気のせいじゃなけりゃ、多少ヤバイことに手ェ染めてるんじゃねーかな。勘だけど、絶対だ。微かな硝煙の匂いが、それを確かな物にしているから。
…闇の匂いが、彼女からはする。
一瞬彼女がスコーピオンかとも思ったが、よくよく考えると「寄るところがある」とかで別ルートになった乾と言う男も、同じく闇の匂いがした。なんらかの悪事を行ってるんだろう、アイツも。
…どっちだか、考えて見てもいまいちピンとこない。こりゃ、あのボウズに任せた方が楽だ。
そうして運転して、小一時間。やっぱり、制限速度を守るとそれなりの時間が掛かってしまう。
石垣の有る路を左に曲がり、坂を上がっていくと、段々と路が細くなっていった。左右が綺麗に手入れされた植え込みと街路樹で形成されている。街路樹の向こうには、海が見えた。…横須賀だもんなー。
そうして、路の向こうに見えてきたのは尖塔。女の子がお姫様や馬に乗った王子を想像するときに付いてくるような、あんな白亜の城だ。
門をくぐり、車を城の前に付けた。…待て、待て。今、門の上に妙な紋章を見たぞ。まさかな。
オレたちが車を降りるのと同時に、後続のタクシーが到着した。中からボウズ達が下りてくる。
トランクからドラムバックを取り出すと、オレはボウズ達に近寄った。別に来る乾さんが、未だ到着していいない為、此処で少々待つことと成る。
「わぁ……ホントに綺麗なお城!」
「ドイツのノイシュバン・シュタイン城に似てますね。シンデレラ城のモデルになったと言われている…」
感動している蘭さんの後ろで、オレはそう言いながら城を見上げた。
遠くから見たとおりの白亜の城。一昨日の朝、オフクロが話してくれたお陰で、オレはこの城をすっかり思い出していた。オレはこの城を見上げ、『ねぇ、おしろ?』とワクワクしながら話し掛けたのだ。
そして、『そうよぉ、すごいでしょ!』と胸を張ったのが、当時の夏美さんだ。オレはちらりと夏美さんを見た。どうやら夏美さんは思い出してもいないらしく、全員を迎えるような形で、城に背を向けていた。
オレはもう一度城を見上げ…その正面の中央あたりに、先ほど見間違いだろうと思った紋章を…発見してしまった。
頭上に王冠を載せ、後ろから後光が差している…双頭の鷲。
城自体がドイツ風だから、見ように寄ってはそりゃドイツ皇帝の紋章に見えることは見える。確かにドイツ皇帝の紋章だって、後光を頂く双頭の鷲だったワケだし、神聖ローマ帝国に関係する国々の皇帝は双頭の鷲を紋章にしているケースが多いから、そりゃ問題は無いのかもしれないけれども。
多少頭が切れて、多少事情が解っている人物だったら、この紋章がどんな意味合いを持ってるのか、見抜いちまうんじゃねェのか?それなのにいーのかよ、城の壁にあんな馬鹿でかく彫っちまって。
…何か間違っている気がしてならないけど、それ以上に気になるのは、あれを誰も気付いていないってところだろうな。…そうか、気付かないもんかな。「白亜のお城」に一括りされちまって、紋章の意味なんざどうでもよくなっちまうんだろうな。第一、アレは盾を持ってるワケでもないんだし。お飾りにでも見えるのか。
かくいうボウズもあれに気付かなかったらしく、なんか別のベクトルに対して「あれ?」と首を捻っている様だった。
…ま、いっか。
城を正面にして左手には噴水。その奥はどこかに続くらしく、道が開けている。へぇ、どこへ続いてるんだろうな、庭?と思い巡らせている辺りで、背後にエンジン音が聞こえた。
真っ黄色のワーゲン。ああ、乗っているのは工藤家の隣に住む変わり種の科学者、阿笠博士じゃないか。そして、一緒に住んでいるお嬢さん。名前は灰原哀…だったかな。ボウズを調べる際に付随してくっついてきた程度の情報しか持ってないから解らないが、なんだかこのお嬢さんも妙だ。ものすごく奇妙な匂いがする。
そのお嬢さんが下りた直後、同じ年頃かと思われる子供がぞろっと姿を現した。口々にボウズの名を呼び、無邪気に笑っている。
…そう、子供ってこんな顔ですよ、名探偵。お前も時々無邪気っぽいけど、わざとらしく見える事の方が多いんだよな…。
「博士!どうしてここへ?」
「いや、コナン君から電話をもらってな。ドライブがてら来てみたんじゃよ」
他愛ない口調で阿笠はそう言うと、ひょいと太った体を縮めてボウズに囁き掛けた。
その行動を無論視界の端に入れていたオレは、ぼんやりしていると見せつつ、その会話に耳を澄ませる。
「ほれ、キミに言われた通り、ヴァージョンアップしといたぞ」
「サンキュー!」
ボウズは眼鏡をかけ直すと、にこりと笑って礼を言った。だがその直後に顔を顰めて「でも何でアイツら、連れてきたんだよ」と文句を言った。
非常に面倒臭そうだ。博士によれば、知らぬ間に車に潜り込まれたらしい。不可抗力と言うヤツだろう。ご愁傷様。
当の子供たちと言えば。
「まるでおとぎの国みたい!」
「この中に宝が隠されているんですね!」
「うな重何杯食えっかな〜」
…なんて、非常に無邪気。子供なんだからそんなもんなんだが、同時に非常に危なっかしい。好奇心が旺盛で注意深くない年頃なわけだし、危ないとこでもひょいひょい入っちまうだろう。
そう思ったのはオレだけじゃなかったらしい。立場上、きっと年中迷惑だと思っているだろう毛利探偵が、「いいかお前達、中には絶対入っちゃ行かんぞ!」と怒鳴った。対する返事はにっこり笑顔で「はーい、わかってまーす」。…無駄っぽい。
「乾さん、遅いですね…」
セルゲイに言われて、オレは我に返った。演技演技。
「ええ……何か、寄るところがあるとか言ってましたけど…」
オレが言った直後、赤いバンが滑り込んできた。当然、乗っているのは最後の一人、乾将一だ。
荷物を抱え、やあ悪い悪い、と悪びれなく近付いてきた。
「準備に手間取ってな」
「何ですその荷物。探検にでもいくつもりですか?」
毛利が怪訝そうに荷物を見やって聞いた。言葉通り、本当に大きな荷物だ。登山用の物に似た、大振りのリュックがパンパンに膨れている。
「ん……なぁに、備えあれば憂い無しってヤツですよ」
一体、どんな備えをしてきた事やら。彼の匂いと言い、多少怪しげな雰囲気に包まれている。何かやらかしそうな顔だ。
注意しておくに越したことはないな、と思いつつ目線を乾から逸らすと、さっきのお嬢さん(灰原哀…哀ちゃんだな)がボウズに近寄ってなにやら囁いている。ボウズも真剣な顔でその言葉に頷いているのだが、どうやら後ろから浴びせられてる視線に気付いてないらしい。注意力を集中させすぎじゃないの、名探偵。危険危険。
ともあれ、ようやく乾が到着したので、オレたちは中に入り、城内の案内をしてもらうことになった。
まず最初は、一階。
「ここは騎士の間です。西洋の甲冑とタペストリーが飾られています」
木製の、まるで棚のような物に、甲冑が整然と並んでいた。
山ほど並んでいるその甲冑がある所為か、なんだか生きた匂いがしなかった。本当にただ、並べる為の部屋なのだろう。無表情に立ち並ぶ甲冑が気持ち悪い。
扉の正面をその甲冑達が並んで出迎え、そのずっと向こうには暖炉があった。こんな部屋に暖炉を作っても、使わないだろうに。無駄な物を作るのも、西洋風なのかな?
その暖炉にも、双頭の鷲の紋章が彫られていた。随分と色んな所に彫っているものだ。
お次は、階段を上がって二階に。どうやら、訪問者に見せるコースと同じように案内をしているらしい。沢部さんの足取りには迷いがなかった。
「ここは貴婦人の間です。大奥様は良くここで一日中過ごして居られました。この部屋が一番気が休まるとおっしゃられて…」
なるほど、と思う。壁は一面、暖かなピンクに塗られていて、様々な風景画が飾ってあった。どれも結構良さそうな絵だ。
…騎士の間でも少し思ったが、オレはこの城の内部を、今でもまざまざと覚えていた。
オヤジと出向いたのは、確かこの部屋だった。あのソファに、夏美さんのお祖母さんが座っていて、こっちのテーブルは真っ新なテーブルクロスが掛けられ、オヤジはそこでマジックを見せたんだ。
オレも助手をして、懸命に頑張ったのを覚えている。
促され、オレたちは次の部屋へと向かった。
「こちらは皇帝の間でございます…」
先ほどの部屋が「絵」の部屋なら、こちらは「彫刻」の部屋だろう。壁と言わず天井と言わず、どちらを見ても彫刻が施されている。部屋毎に美術品を置いているのか、此処の城は。
「なァ、ちょっとトイレに行きたいんだが…」
「トイレなら廊下を出て右の奥です」
乾が部屋をささっと出ていく。よほど我慢が利かないのか、部屋を出た途端走っていった。
オレたちは気にせずしばらく彫刻を眺めていた。オーソドックスに考えると、彫刻に仕掛けが施してあるケースは多い。まさか香坂喜市がそんな使い回しの手を使うとも思えなかったが、一応チェックはしてみる。
……あれ?今出てった乾さん、出てすぐに左に向かわなかったか?沢部さんが指し示した先は右奥。
アイツ何処行ったんだ。そう気付いた途端、先ほど入った「貴婦人の間」から、呻くような声が上がった。
「今のは!」
「乾さんの声です!」
ボウズの言葉に返すと、オレは一気にダッシュした。
「うわぁぁぁ」と叫び声が聞こえたのと同時に、オレは叩き付けるようにドアを開いた。
……何してんだ、この男。
「こりゃ、一体!?」
毛利が荒く息を吐く乾を見て、ぽつりと漏らした。
その気持ちは良く分かる。乾は右手を壁の奥に突っ込んだままでしゃがみ込んでいた。乾の頭上には、十本近くの剣やら槍やらがゆらゆらと揺れている。
「八十一年前、喜市様が作られた防犯装置です」
沢部は怒りもせず、穏やかにそう言った。
ハァ、なるほど。乾の側には、荷物が散らかされている。オレは近寄ってそれを見た。
道具箱が開けっ放しになっていた。中にはレンチやらスパナやら、ピッキングや盗みに使うのだろう道具が山ほど入っていた。
「この城には、まだ他にも幾つか仕掛けがありますから、ご注意下さい」
沢部がカギを開けると、乾はへなへなとその場に座り込んだ。
「つまり抜け駆けは禁止ってことですよ、乾さん。道具は懐中電灯だけあれば充分でしょう」
オレはデイバッグの中に入っていた糸ノコやドリルをほっぽり出すと、最後に残っていた懐中電灯を乾に投げやった。受け取った乾は、それを呆然と眺めやった後、「チッ」と小さく舌打ちをした。
やれやれ、とんだ「美術商」だ。
「ねぇ、このお城に地下室は?」
喜市さんのからくりをしげしげと見つめたあと、ボウズはそう沢部に尋ねた。
「ありませんが…」
「じゃ、1階にひいおじいさんの部屋は?」
意気込んだボウズに、沢部は少々たじろぎながら答えた。
「それでしたら、執務室がございます」
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