ため息混じりに礼をして身を翻すと、また舞い戻ってきたオレを見て、夏美さんはクスッと小さく笑った。
「なんだか、魔法のランプに棲んでる精霊みたいにしちゃってるわね…ごめんなさい」
「いいえ。大丈夫ですよ」
伏せ目がちの夏美さんは、ゆっくりと話を切り出した。
「愚痴、聞いてもらってもいい…?」
「…ええ、どうぞ」
涙の混じったカクテルに口を付けてから、夏美さんは口を開いた。
「私……おば…いえ、祖母に会うのは一年ぶりだったの。会うと言っても…遺体と、だけど…」
カクテルを光に透かしながら、彼女は誰に話すでもない様子で言葉を続けた。
「五歳の時、両親が突然亡くなったの。交通事故だったわ。それから私は、ずっと祖母に育てられたの。
祖母は優しかった。思春期には反抗もしたけれど、基本的に私はおばあちゃんこだったのよ。でも、パティシェールになるって決めて、渡仏してからは年に数えるほどしか帰らなかった。仕事が忙しくて、楽しくて…。
最後に会った時、祖母は宝物だった綺麗な箱を見せて、私に言ったわ。『私が死んだら、この箱はあなたのものよ』って。子供の頃、ずーっと欲しがってた箱だった。中身はこの間見せた図面と、大きな鍵だったんだけど…。私はその時、おばあちゃんにありがとう、としか言わなかったわ。聞きたいこともいっぱいあったけれど、他には何も言わなかったの。……あれが最期になるんだったら、もっと色々聞けば良かったのに…っ!!」
カウンターには、ぽたぽたと涙が落ちている。
オレは動かず、ただじっと彼女の言葉を聞いていた。
彼女が望んでいるのは理解者であるオレじゃない。ただの聞き役であるバーテンダーだ。
「だから、図面しか見たことのなかったおばあちゃんの代わりに、あのメモリーズエッグを見たいって思ったのよ。でも、おばあちゃんはもう居ない。私が代わりに見ても、何もならないんじゃないかって、この間ふとそう思ったの。もうチケットも予約してしまったけど…。キャンセルしようかと思ってて…」
「…………」
彼女は、多分迷っているんだ。
祖母の代わりに動く事へ、疑問を感じている。
オレはそうっと、彼女へ語りかけた。
「すばらしい人だったんですね、あなたのお祖母さんは」
「…え?」
「貴女はこれ以上無いほどに悔やんでいる。それは、貴女がどれだけお祖母さんを慕い、愛したかって言う証拠じゃないかとオレは思います」
「…………」
夏美さんは、うつむいたまま動かなくなってしまった。
オレは更に言葉を重ねる。
「後悔しているなら、今からでも遅くは無いんじゃないかと思います。メモリーズエッグを直に見て、墓前に報告したみたらいかがですか?貴女が持っていた図面は、こんなに素晴らしい、綺麗な卵だったのだ、と。
メモリーズエッグを見ることは、貴女が先に進む為に大切なことじゃないかと思います」
彼女はまだ動かない。
…何か、間違えたかな…。
そう思って彼女を見つめていると、彼女は突然ぱっと顔を上げて笑った。
「ごめんね、支離滅裂なこと、言っちゃって。でも…なんだか吹っ切れた気がするわ」
「いえ、オレもおかしな答えを返してしまって…」
「ううん、いいの。そうよね。見たらきっと先に進めるわ」
涙色のカクテルを一気に飲み干すと、彼女はすっと立ち上がった。
「ごちそうさま、黒羽くん。…ありがとう」
「…いいえ、どういたしまして」
にっこりと笑った彼女に向かって、丁寧に辞儀をする…と、彼女の声が頭から振ってきた。
「ねぇ、黒羽くん」
「はい?」
「…もしかして、どこかで会ったことないかしら?」
そんなナンパの常套句……でも夏美さんが言うなら、本当にそう思ってるんだろう。
しかし、会ったこと?人の顔はあんまり忘れないんだけど……会ったこと会ったこと……ないと思うけどなぁ…。
そんなことを考えつつオレが眉を寄せていると、彼女は慌てたように手を振った。
「あ、いいのいいの、勘違いかもしれないから!」
そう言って、またふっと笑った。
「今日は、本当にありがとう。じゃあ」
「…ありがとうございました」
丁寧に礼をしてから身体を起こすと、彼女の背中が扉の向こうに消えつつあった。
オレも背中を向けて、七番へと戻る。
そこでは、空になったグラスを持て余している紅子がこっちを見つめていた。
「お疲れさま、黒羽くん」
「…何をお飲みになりますか」
「ギムレット」
グラスを引き取り、新しいグラスにカクテルを作って差し出した。
「光の魔人とは縁があるようね、黒羽くん」
「…何のことだ?」
「太陽の炎を内に秘めし魔人の影がまた見えたわ…。でも、光の魔人に滅ぼされるとは、ルシュファーは言ってなかった。その代わり…右目に針を持った深紅の毒虫が、あなたを狙っているわよ、怪盗キッドさん」
「…だから、オレはキッドじゃないって言ってんだろ?」
「そうだったわね」
くすくすと笑った紅子の目は、明らかに信じてない、揶揄の色を持っていた。
いつものことだ。
「深紅の毒虫は、深い海の底で虎視眈々と獲物を狙っている……自らの領域を侵す者へ、制裁を加えるために。貴方が飛ぶなら、毒虫は狙うわ」
「…なんのことだか」
グラスを磨きながら、オレは素知らぬフリをした。
コイツがこんなことを言い出す時は、決まって大きな事件になる。
だからコイツの言葉は聞きたくねぇんだけどなぁ…。
「ねえ、これに氷を落としてくれる?」
「はいはい」
人の少なくなったバーに、カランと氷の響きが反射した。
ちらりと見ると、白馬や青子は半分眠っているようだ。
「もう夜…光の住人は眠りの床に誘われ、闇の住人達が蠢き始める頃…ね」
ぽつりとこぼれた言葉に、オレは視線を紅子に戻した。
「闇の住人はその汚れ故、浄化を望んで光へと引き寄せられる。でも、闇にとって光は禁忌だわ。炎に吸い寄せられた羽虫のように、その身を焦がし、滅びてしまう…」
「…………」
「…くれぐれも、光には吸い寄せられないようにね。いくら貴方が月の申し子だとは言え、夜に生きる魔性の生き物には光は禁物。貴方には滅んで欲しくはないわ…」
「…わかんねぇよ、何を言ってるんだか、さ」
分からないとは方便だ。本当は分かっている。
彼女もオレも、闇に生きる夜の住人だから。
青子より、白馬より生きている場が近いからこそ、言葉の意味を理解できる。
…そろそろ、時間か。なんかあっという間に過ぎちまったな。
時計はいつの間にか一時を過ぎていた。
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