昼間から面倒な事に取り掛かったオレは、夕方になると作業を一時中断して仕事場に向かった。
仕事場と言ってもキッドの方じゃなく、黒羽の方だ。
「おはようございま〜す」
「おはよう、黒羽くん。お客さんが来てるよ、早く行ってあげなさい」
「…客?」
「十二番のボックス席だよ」
「はい、わかりました」
マスターに言われたオレはロッカールームでさっさと着替え、カウンターに向かった。
十二番っと…あそこか…げっ!!
オレはカウンターを抜けると、ささっと十二番の近くに膝を突く。
「な、何してんだお前ら!」
「未来明るい青少年として、カクテルバーの見学に来ているんですよ」
「快斗っ、どーしてこんなとこでバイトしてるって言わなかったのー!」
「何が未来明るい青少年だよ…ってーか、青子飲んでんじゃねーか!」
そう、ボックス席に居たのは白馬・青子・紅子の三人だった。
「マティーニって知ってる〜?おいしーよぉ♪」
「おいしーよって、お前なぁ…」
「…すみません、気がついたらもう注文してしまっていて……」
こればかりは失態だと言う顔をして、スーツに身を包んだ白馬は申し訳なさそうに謝った。
白馬と紅子は元々持ってる雰囲気が大人っぽいこともあって、バーにいても全然問題ないほど溶け込んでいるけど、青子は…。
見てくれからしていかにも高校生だと言わんばかりだ。
「ったく、バレたら店が訴えられるんだぜ…?」
「おや、それを言うなら君の方がまずいだろう、黒羽くん。バイトが十八歳未満だって知れたら…」
「う…オレは何とかなるの!」
ったく、頭が痛いぜ…。
「黒羽!」
おっと、カウンターからのお呼びだ。そろそろ交代の時間だもんな。
「頼むから、おとなしくしててくれよ…」
「青子、快斗の晴れ姿ちゃーんと見とくからね♪」
「楽しく見物させてもらいますよ」
晴れ姿…見物…ったくよぉ…。
唯一何も言わなかった紅子は、くすっと笑いながらこっちを見ていた。
肩をさらけ出した黒のドレスに、赤いシースルーのブラウスがよく似合っている。
…似合ってるっつっても、アイツは似合いすぎだぜ。魔性の女じゃねーんだから…あ、似たようなもんか。
「三番と四番のお客さんに、ピンクレディとスロージンフィズをお願いな。おれはもう上がるから」
「はい、お疲れさまです」
「お先に失礼。あ、そうそう、一番のお客さんだけどな、もしかしたらお前を待ってんじゃないかな」
「へ?オレ?」
「そう、女性なんだけど…どこで引っかけたんだよ、このっ!」
「そ、そんな人いませんよ…」
「とにかく、ちょっと見といてくれや。じゃ、お先」
先輩バーテンダーにお辞儀をして、オレはとりあえずカクテルから作り始めた。
三番と四番のお客さんは常連さんで、つい捕まってしまったけれど、なんとかそこを離れて、一番のお客さんへと移動する。
「…あれ、夏美さん?」
「あ、良かった、黒…何くんでしたっけ。名前、分からなくなっちゃって…」
「黒羽、です」
それで、「お前を待ってんじゃないかな」、か。
先輩の苗字は「黒坂」だ。
「どうしたんですか?」
「うん…黒羽くんの作ったアメリカンビューティ、また飲みたくなったの」
「…ありがとうございます」
オレは微笑して材料を取りに行った。
ブランデーとフレンチベルモット、オレンジジュースを四分の一ずつ。それにクレーム・ド・ミントを一滴加える。
「甘さはどれくらいがお好みですか?」
「そうね…じゃあちょっとだけ甘めで」
「はい、かしこまりました」
ちょっと甘めになる量のグレナディンシロップと他の材料を全てシェーカーに入れて、オレは丁寧に八の字を描いた。
かしゃかしゃと小気味良い音がバーに広がる。
店内の客がこちらを見ているのがわかるせいか、シェーカーを振るのは結構お気に入りの動作だ。オレの自尊心を満足させるだけの効果がある。
個人的にはいつまでも振っていたい気がするが、振り続けても仕方がない。
トップを外すと、オレはカクテルをグラスにゆっくり注ぎ込んだ。
「ふふっ、やっぱり格好いいわね、黒羽くん」
「ありがとうございます」
オレは微笑してポートワインをカクテルにそっと浮かべ、彼女にグラスを差し出した。
彼女は少し口を付けてから、ふわりと笑った。
「うん、やっぱりおいしい」
そう言ってから、夏美さんは黙りこくってしまった。わざわざオレに会いに来た…ってことは、カクテルだけが目的じゃないだろう。
バーテンダーの仕事は、カクテルを作ることだけじゃないから。
シェーカーを洗い、一通りの仕事をしてからまた夏美さんの前に戻って来たが、グラスの中身は減ってない。やっぱり、カクテルが目的じゃないんだ。
グラスを磨きながら夏美さんを窺うと、ポツン…と音がして、アメリカンビューティの赤い水面が輪を作った。
「……夏美さん?」
「…あ、ごめんなさい、私…」
夏美さんは、笑おうとして失敗したのか頬に涙を伝わせている。
思わず差し出したオレのハンカチを断って、彼女は自分のハンカチで涙を拭った。
「明日から、大阪に行くことにしたの。サリが色々調べてくれてね……二十三日にオープンするけど、二十二日に怪盗キッドが予告状を出しているから、二十二日に会長さんに会いに行った方が良いって。会長さんのスケジュールも調べてくれたから、七時くらいに会いに行こうと思って…」
七時…。その頃は多分…。
でも、結果的に彼女の手の内にエッグが収まるなら、今は我慢してもらうしかない。
元々は彼女のモノなわけだし…な。
「…会えると良いですね」
「ええ、そうね。でも…」
夏美さんはそう言ってまたうつむいた。一体どうしたんだろう?
「…バーテンさん、ギムレット一つ」
「はい!すみません、失礼します」
でも、の先を知りたかったが、オレはギムレットを作りに七番へと向かった。
そこにいたのは…紅子だ。
「紅子?なんだ、ボックス席にいたんじゃなかったのか?」
「貴方のバーテン姿を見に来たのよ、黒羽くん。それより、ギムレット…くださらないのかしら?」
くすっと笑った彼女の顔は、妖艶そのものだった。
「はい、ただいま。甘い方がお好みですか?」
「いいえ…」
材料を入れたシェーカーをカシャカシャとシェイクすると、グラスに注いで彼女の前に差し出す。
「ありがとう。とりあえず、彼女の所に行ってあげたら?彼女、今回の仕事のキーポイントなんでしょう?」
やっぱり侮れねぇ女だな、こいつは。
「彼女との話が終わったら、此処へ戻って来てね」
「…はい、かしこまりました」
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