Detective Conan

世紀末の見る夢






















 八月。学校に通う全ての児童及び生徒は、休息の日々を得る。
 学校の宿題さえ終わらせていれば何をしても構わない、安楽の日々だ。
 遊び、バイト、旅行。数ある目的の中で、オレが選んだのはバイトだった。
 …と言っても、前から「仕事」の合間にやってたんだけどな。
 夜になると、「仕事」が入ってる日以外はひたすらシェーカーを振り、マドラーを操ってカクテルを作る。
 バーテンダーなんて職業をバイト先に選んでから随分と経ったが、数あるカクテルの全てを作れるようになった、とは少々言い難い。……顧客の注文を満足させることだったら、自信有るんだけどなー。
 夜の仕事だからとオフクロは相変わらず心配してるけど、こうしてシェーカーを振っているのは以外と楽しい。
 常連とも大分話せる様になったし……マジシャンがダメだったら、バーテンになろっかな、オレ。
 なーんて、マジシャンになれないなんてサラサラ思っちゃいないんだけどね。
「あっ、黒羽くんっ!」
 呼ばれて入り口に目を向けると、ニコニコと笑いながらサリさんが来た。
 よくふらりと来る常連さんで、目鼻立ちのハッキリとした結構美人のおねーさんだ。彼女ねらいでこのバーに通ってる男も結構居るらしいよ、とはバーテン仲間の話なんだけど、顔を見ると頷ける。美人だからなー。
「お久しぶりです、サリさん。今日帰国なさったんですか?」
「あら分かる?やーねぇ、黒羽くんには隠し事出来なくって」
 当人はそう言っても、隠す気なんかない事くらい、持ってる鞄で分かる。仕事の都合上、パリと東京を行ったり来たりしているサリさんには、パリに行くときはお気に入りの鞄ってのがあって、それを持っている時は大概パリから帰国した時だ。
 本日の鞄も当然、パリ行き用のおしゃれな鞄だ。センスに掛けては、さすがデザイナー。
「今さっき帰国したばっかなのよ。すっごい疲れてんだけど、黒羽くんの顔が見たくてつい寄っちゃった」
「そうですか、ありがとうございます。でしたら、何か甘いのでも作りましょうか?」
「ん、任せるわ。でも強めの奴はやめてね。待ち合わせなの」
「かしこまりました」
 オレは手早く材料を合わせてシェーカーを振った。
 足の高いカクテルグラスに中身を注いで、サリさんの前にそうっと置く。
「あら、カフェ・エ・ショコラ!」
「サリさん、甘すぎるのもダメでしょう?」
「私の趣味、憶えててくれたんだ。感激っ!」
 ニコニコとカクテルを傾けるサリさんの笑顔は可愛い。
 その笑顔が、ふと横顔になる。
「あ、来た来た。夏美〜」
 辺りを見回しながら入って来た女性に向かって、サリさんはひらひらと手を振った。
 ふんわりとした雰囲気を持つ、どこかお嬢様タイプの女性。
「あ、サリ…」
 小走りに寄ってきた彼女を見届けてから、サリさんは「黒羽くん、なんか彼女に出したげて」と笑った。
 何にしようかな。彼女を見ながらそう考えるオレの前で、二人は穏やかに話し始めた。
「良かった、思ったより元気そうね」
「うん…ちょっと疲れてるけどね」
 微笑った夏美さんの顔色は、確かにあまり良いものではなかった。
 疲れてるのか。甘い方が良いかな、オンナノコは甘いの好きだし。
「…遺品の整理、どぉ?」
「まあまあってトコかな…分からないものも、いっぱい出て来てね。なんか……鍵とか、図面とか」
「図面?って、設計図?」
 建築設計士がいたの?と不思議そうな顔をするサリさんに、夏美さんは笑って「違うのよ」と答えた。
「家とかのじゃないのよ。あのね…インペリアルイースターエッグ、って知ってる?」
「インペリアルイースターエッグ?」
 サリさんは首を傾げて、うんうんと考え始めた。
「確かー……ロマノフ王朝の秘宝って呼ばれてるあれよね?復活祭の記念として作ったとかなんとか…。あーダメ、アタシ詳しく知らないなぁ。ねえ、黒羽くん、知らない?」
 突然話が振られて、オレはぎくりと僅かに身を竦めた。思わず聞き耳を立ててたからなぁ。悪いことでもないんだけど、仕事柄。
 素知らぬフリして夏美さん用のカクテルを出し、オレは口を開いた。
「オレの知ってる限りで良ろしければ。どうぞ、アメリカンビューティです」
「ありがとう。是非お願いします。私も詳しくないんです」
 夏美さんはカクテルを受け取って顔を上げると、急に驚いた顔でオレをじっと見つめてきた。
 何をビックリしたんだ?オレ、変な顔してるかな。
 あれ、彼女……瞳の色がグレーだ。珍しい。
「彼女はアタシの同級の、香坂夏美。パリでパティシェールをしてるのよ。日本に戻って来るのは1年ぶりだって言ってたから、黒羽くんとは初対面よね」
「あ、ごめんなさい、自己紹介もしないで…」
 バーテンに自己紹介って方がおかしいけど、素直そうな彼女にオレは何も言わなかった。
「いえ。バーテンダーの黒羽です」
「香坂夏美です。黒羽さんは、インペリアル・イースター・エッグに付いて、何かご存じなんですか?」
 く、黒羽さんだって…。年上から言われると、なんだかむずったい。
 サリさんだって初っぱなから「黒羽くん」だったし、こんな丁寧に呼ばれるのは初めてだ。
「あの、さん付けは……呼び捨てでも、結構ですから」
「じゃあ、サリと同じように、黒羽くんって呼ばせてもらいますね」
「そうしてください。…ええと、インペリアルイースターエッグでしたよね。
 確か、ロマノフ王朝の皇帝が、自分の母親や妻への贈り物として、当時の天才デザイナーに作らせたもの、だったと思います。凄く高いんだそうですよ、有名なサザビーのオークションで落札されたとき、エッグ一個に八億くらいの値が付いたって話ですから。
 全部で五十個だか五十六個だか作られたとらしいんですが、見付かっているのは四十四個で、残りは行方不明なんだとか。今はアメリカやロシアの博物館とか、イギリス王家だとかが持ってたりするらしいですよ」
「へー…さっすが黒羽くん、博識!役に立つ〜」
「前に、テレビでやってたのを見たことがありまして」
 感心したような声を出したサリさんに、オレは微笑んでみせる。
 ウソだけど、インペリアルエッグの特集は時々あるから完璧にウソってわけじゃあない。
 それにしてもサリさん、なんかオレの事、辞書扱いしてないか?何かと言うとこうして質問されるような。
 しまった、知らないとか言っておいた方が良かったかな。なんて思ったりはしたものの、もう遅いだろう。こうなりゃ、トコトン答えちまうしかない。
「どれもすごく贅沢に作られてて、黄金やダイヤなんかが豊富に使われてるそうですよ。大概は中が開くようになっていて、仕掛けがしてあったり、金細工が仕舞ってあったりするそうです」
「そうなんですか?すごいものなんですね…」
「じゃ、これも中が金で出来てるのね」
「あ、まだそうと決まった訳じゃないの。ただ、絵の感じが似てるなあって思って…」
「ううん、これ多分本当にエッグだと思うわよ?」
 サリさんは自信たっぷりに断言した。
 彼女がそうして断言すると「ああそうなのか」と信用したくなるから不思議だ。
「…なんでそんなに断定するの…?」
「うん、今見てて気が付いたんだけどね。これ多分緑色だと思うのよ」
「み、緑?どうして?」
「この間、鈴木財閥が自分の蔵から発見したって言う、インペリアルイースターエッグ・メモリーズとデザインが似てるのよねぇ。ほら、これもメモリーズじゃない?」
「ええ、メモリーズって書いてあるわね……ね、それって、どこかで展示してるの?」
 夏美さんの目の色が変わった気がする。
 どうしたんだ?
「えーっと…確か大阪の鈴木近代美術館がオープンする時の目玉だったと思うけど」
「オープンは?」
「さあ、アタシもどっかで見掛けただけだから……ねぇ、どしたの?」
 サリさんが怪訝そうにそう尋ねると、夏美さんはふっと俯いてしまった。表情は見えないが、もの悲しげな雰囲気がたまらなく痛々しい。
 そうして俯いたまま、夏美さんはぽつりと言った。
「これ、もしかしたら、おばあちゃんの形見なんじゃないかって、思って。…遺品を整理しながら、ずーっと思ってたの。おばあちゃん、あの広い家で何を考えてたのかなぁって。そりゃあ財産管理の事とかもあるし、横須賀のお城の事だってあるわけだから、決して暇じゃあ無かったと思うの。沢部だっていたけど……でも私、おばあちゃんを残してずーっとパリにいたでしょ。おばあちゃんと最期に会ったの、一年も前の話だし」
「…パリに居たんじゃしょうがないわよ。それに、あなたパティシェールでしょ?そうそう帰れないのは、おばあさんだってわかってたと思うけど…」
「それは、そうなんだけど…。でもやっぱり私、薄情だったんじゃないかって。おばあちゃんに育てて貰ったのに、何にも知らなかったんじゃないかな、って。…だからね、おばあちゃんが、何を考えてたのか…知りたくなったのよ。この設計図も鍵も、おばあちゃんの宝箱に入ってたの。もしこれがエッグで、本当にあるのなら、見てみたくて…」
 顔を上げた夏美さんの瞳は、強く光っていた。
「…よし、出来る限りの情報、あんたに回してあげるわ」
 にこっと笑ったサリさんは、軽く夏美さんの肩を叩いた。
 強い情報網を持つ彼女が味方なら、情報だって充分入って来るだろう。
「……ありがと、サリ…」
「サリさんが味方に付いたんですから、きっと見ることが出来ますよ。それに……きっと、すばらしい幸運が訪れますよ」
「幸運…?」
 きょとんと見上げる夏美さんに、オレは優しく微笑んで見せた。
「オレの勘です。…オレも祈ってますよ、いい結果が出るように」
 空になったグラスを新しいグラスと交換し、オレも自分の分を掲げて更に言葉を続けた。
「幸運を!」


 まだ決まってなかった次の仕事、もうこれっきゃねぇよな。












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