「…にしても、蘭の奴遅ーなー…」
毛利が憮然とつぶやいている。
その後ろから園子さんが苦笑して答えた。
「きっとどっかで迷ってるんですよ…蘭って方向オンチだから…」
ああ、調べた情報の中で、そんな記述があったっけ。だから蘭さんを隠し蓑に選んだんだけどさ。
オレは後ろから近寄ると、少々照れた顔をして言った。
「どーせ方向オンチですよ!」
「あ、蘭…」
園子さんは申し訳なさそうに振り向いた。
「ねぇ…部屋の外の様子、どうだった?」
「廊下は刑事さん達でごった返してたわよ…」
そう答えたところで、壇上に茶木警視が上がった。
ん?なんだ?
「えー、警視庁の茶木です!
もう耳にされた方もおられると思いますが、あの忌ま忌ましい悪党がどうやら本船に侵入した様です!!」
会場がざわついた。
ケケケっ、その忌々しい悪党はここにいるぜ☆
「ご存知の通り、奴は変装の達人!なりすます相手のことをあらかじめ調べあげ、顔はおろか声や性格まで完全に模写してしまう…常識では計れない悪才の持ち主です!」
…せめて、天才って言ってくれねーか?
根っからの悪党みてーじゃねーか。
「もしかしたら、すでに奴はあなた方の中に混ざっているかもしれません! 本来なら一人一人入念に調べ上げるところですが…今回はそんな無粋なマネは避けましょう…。
合い言葉です!そばにいる方とペアを組んで、二人だけの合い言葉を決めてください!」
はぁ?
それって、オレが紛れ込む前じゃねーと意味がなくねーか?
と思っていたら、毛利探偵が面白い解説を始めた。
「なるほど…そうすれば、奴は次から次へと変装が出来なくなり、警察としても不審人物を特定できるってわけか…」
「さあ皆さん、近くにいる方と合い言葉を!!」
茶木警視が叫んでいる。
バーロ、お探しのキッドはすでにここにいるんだよ。
合い言葉で見分けようなんて、甘い甘い☆
オレはそばにいたボウズに近寄り、身をかがめた。
「ねえなんにする?合い言葉…」
「え?」
ボウズは少し考えた後、オレに耳打ちをした。
「じゃあ、ボクが『ホームズ』って言ったら…」
「わたしは『ルパン』ね!」
有名な探偵・シャーロック=ホームズって言ったら、有名な怪盗・アルセーヌ・ルパンしかいねーだろ?
これは、ボウズに向けたヒントのひとつ…ここにいる「毛利蘭」はワトスンじゃないぜって言う、暗号。
気付きゃいいけどな。
オレが心の中で笑っていたら、突然明かりが全て消えた。
ありゃ??
電気が消えたと同時に、不敵な笑い声が会場内に響いた。
中森警部が焦る中、部屋の隅から煙が上がる。
「か、怪盗キッド!?」
そう、スポットライトを浴び、大量のハトと共に現れたのは、紛れもなく怪盗キッドだった。シルクハットを深々と被り、その表情はわからない…。
なーんつって、オレは奴が誰だか知ってるけどさ。
「フフフ…合い言葉なんて無駄ですよ…」
「なに!?」
警部は驚いた声を上げた。すっかり騙されている。
「すでに、『漆黒の星(ブラックスター)』は私の手の中だ…」
そう言って、彼は白い手袋の中でブローチをもてあそんだ。
その手の中には、光りすぎているブラックスターが眩いばかりに輝いている。
オレはそこまで間抜けじゃねーよ…。
「バ、バカな!!」
中森警部とボウズが驚いた顔で彼を見上げ。
「わーーーーっ♪」
園子さんは嬉しそうに彼を見上げた。
反応は人それぞれだ。
一人、人とは違った行動をとっている女性がいる。
そう、会長夫人の朋子さんだ。
「おやおや、困った泥棒さんだこと…。ああいう『怪盗キッド(いたずらボウヤ)』には…」
バックからそっと出したのは、拳銃だ。
ああ、そう言うことか…。
「お仕置きしてあげなくちゃ…」
そう言って、会長夫人は拳銃を高らかに鳴らした。
乾いた音と共に、キッドの胸から血があふれる。
2発、3発と続けざまに撃たれ、4発目と共に下に落ちた。
…イヤなもん、見せてくれるぜ。
下手したら、本当になりかねない「怪盗キッド」の姿。
オレはザワリと寒気を覚えた。
冗談じゃねー。あんな無様な姿、俺はぜってー晒さねぇぜ。
「マ、ママ!?」
夫人は格好つけて硝煙を吹き消した。
それと同時に明かりがつき、テーブルの上には無残な姿のキッドが光にさらされる。
死体を見てしまった女性の悲鳴が、会場内を高らかに駆け巡った。
「あ、あんた、何て事を!?」
「心配ご無用ですわ、警部さん…」
焦って怒鳴る警部を余所に、夫人は優雅に笑って見せた。
「だって彼はまだ…生きてますもの…」
「え?」
夫人の言葉とともに、撃たれたはずのキッドがむくりと身体を起こした。
周りの人々が焦って輪を広げる。
「ウチのガードマンがテーブルクロスで彼を受けとめたんです…このモデルガンで撃たれたフリをした彼をね…」
警部が目を見張る中、血だらけのキッドはテーブルから降り、ゆっくりと夫人へと近付いた。
「そう、彼はこの余興の為に私が雇った天才奇術師…真田一三君ですわ!!」
血のりを浴びてにこやかに微笑んでいるのは、最近名が売れてきたマジシャン・真田の姿だった。
「皆さん、怪盗キッドの哀れな末路を演じてくれた、彼に盛大な拍手を!!」
観客となってしまった周囲の人々は、それでもこの奇抜な演出にこぞって拍手を送った。
けっ、なーにが、「哀れな末路」だよ…んな風に行くかってーの。
「なるほど、怪盗キッドは奇術の名手…まさに適役ってわけか…」
「フ…確かに彼も私も人の目を欺く芸術家ですが…」
フランス料理店のシェフ・旗本祥二が感心したようにつぶやくと、真田はネクタイを緩めながら、当然と言った顔つきで言った。
「私は根っからの奇術師…泥棒が本職の、彼には負けませんよ…」
周りから笑い声がどよめく。
「では皆さん、ステージのそばへ…私の奇術を御覧に入れましょう…」
けっ……言ってろよ。今にその自信たっぷりな顔、あっと言わせてやるからな。
ふと視線をそらすと、ボウズが怖い顔をして真田を睨んでいた。
あん?なんだ、なんかオレやったっけ??
疑問を覚えて、記憶を反芻してみる。その結果、ある言葉に突き当たった。
真田が言った、「人の目を欺く芸術家」だ。
オレの言ったこと、覚えていたのか、もしかして?
それを確かめるために、オレはそうっとボウズの横を離れ、蘭さんとしての気配を「怪盗キッド」としての気配に切り替えた。そして、ボウズにそっと視線を送る。
さあ、気付け。
反応しろ。
お前をコケにしたドロボウは、すでにお前の近くにいるんだぜ?
すると、ボウズはオレの視線に気付いたのか…それともオレの気配を感じたのか?
慌てて辺りを見回しはじめた。
ようやく気付いたか。
オレはニヤリと笑いそうな顔をポーカーフェイスで覆うと、あらためて舞台の上に目を向けた。
舞台ではさっきの真田がマジックを始めている。
どうやら、カードマジックから入るようだ。
「ちょい待ち!」
浅黒い肌の男が、手を上げて舞台に近付いていく。
どうやら、シャッフルを希望しているらしい。
真田は快くそれを引き受け、幾ばくかの人たちがカードに触れた。
一人。二人。三人目…あ、アイツなんか良いな。トロそうな面してるし。
指で小さなガラス玉を弾き飛ばすと、ヤツはバラリとカードを床にぶちまけた。
よしよし、予想通り♪
「大丈夫ですか?」
オレは慌てて駆け寄るフリをして、カードを拾い集めた。
カードを一枚拝借し…それに、飛ばしたガラス玉も回収した。
「はい!」
拾い集めたカードを、園子さんが手渡す。あのカードは51枚しかないが、どうせこの後は使わないカードだから、気にすることはない。
オレは素早く拝借したカードにメッセージを貼り付けた。
あとは、これを引いたように見せかけるだけだ…。
真田はにこやかに礼を言うと、こちらにカードを差し出して笑った。
「お礼にカードを一枚差し上げましょう!」
「えー、いいんですか?」
二人で声を合わせ、嬉しそうに返事をする。
これも、予想の範疇だ。
奇術師がカードを引かせるターゲットにするのは、大概若い女性や子供だ。
「まった!」
オレがカードを引こうとすると、定番通りに真田が待ったをかけた。
「その前に、私の透視眼で君達の心を見透かして、選ぶカードを予言しよう…。んーーーーー…」
「ドキドキしちゃうね☆」
かっこつけて悩みこむ真田に、オレは園子さんと笑みを交わした。
真田は右手からハトを出すと、ばさばさと飛びつづけるハトを見ながら、フム…と唸った。
「鳩…ハト…ハート…。
では、ハートのAと言うことで☆」
場が沸いた。ベタなギャグだけど、目をそらすには丁度良いな。
すでに、真田の手の内にあるカードは52枚になっている。
「さあ、お好きなカードを…」
「右!右!右のヤツ…」
そうっとカードを引く…フリをして、さっき拝借した一枚を引いたように見せかけた。
それをゆっくりと表にかえすと、園子さんが驚いた声を出した。
もちろん、「毛利蘭」も驚いているんだけどな。
「か、怪盗キッド!?」
「え?」
『クレオパトラに魅了されたシーザーのごとく、私はもう貴方のそばに…怪盗キッド』
「キ、キッドだ…」
「キッドが現れた!!」
後ろにいるギャラリーが、ザワザワとどよめきたった。
「皆さん落ちついて、合い言葉の確認を!!」
茶木警視は慌てて呼びかけるが、すでに会場内の人間は浮き足立っている。
こうなると、人間ってのは操りやすくなる。
「いったい、何があったんですか?」
バタバタとあわただしく近付いてきたのは、富沢雄三…さっきのトロそうな面をしたヤローだ。鈴木家の長女・綾子の婚約者でもある。
「キッド様が、メッセージをくれたのよ!!」
「ええ、怪盗キッドのメッセージが!?」
「そうよ!さっき蘭が引いたカードの裏に貼ってあったのよ!」
こんだけ喜ばれると、怪盗冥利に尽きるぜ☆
きゃいきゃいと喜ぶ園子さんに、オレは心の中でニヤリと笑った。
「し、しかし…彼いったい、いつどーやってこんな物を…」
真田はカードを睨んで眉を寄せた。
へへっ、ざまーみろ!
「キッドは神出鬼没…すべては謎というわけか…」
「ああ…わかっているのは…」
シェフの言葉を受けて、色黒の男が茶木警視を振りかえった。
「奴がすでにこの中に紛れ込んでいるっていう事だけだ!!」
こっこにいまーーーすっ☆
舞台では茶木警視が「皆さん冷静に!冷静に!!」と叫んでいる。
おめーがまず冷静になれよ。
「じゃあ、まさか…」
毛利も振り向き、ちょっと焦った声で言った。
「奴はもう、本物の黒真珠のありかを…」
「フ…万が一分かっていたとしても、ここは洋上の監獄…刑事さんたちがひしめくこの船から、見事に『漆黒の星(ブラックスター)』を奪って逃げ失せる事が出来るかしら?」
不敵な笑みを浮かべ、朋子さんが挑戦的に言った。
おもしれー。是非とも盗んで、悲鳴の一つでも上げさせてやるぜ、会長夫人さんよぉ!
「警部!あと10分足らずで本船は東京港に入港します!!」
おっと、やべ、もうそんな時間かよ。
さーて、いっちょ戴きに行きますか、ブラックスターを!
「よぉし、出入り口を固めろ!誰一人外に出しては行かんぞ!!」
はりきってるね、中森警部。
でも、こうしたら、警部に止められるかな…?
オレはブローチの真珠を外すと、そっと足元に転がした。
パーティの始まり…ってな。
「ちょ、ちょっと蘭…胸の真珠どこいったの!?」
「え?ウソ…」
園子さんの声に、オレは慌てて胸を見た。
そして、転がした右前方を見る。
1メートル…1.5メートル。
よし。
「すみませーん!!誰かその真珠、拾ってください!!」
一人の親切そうなおっさんが、しゃがみこんで拾おうとしている。
わりぃな、おっさん。ちょーっとびっくりするかもな?
模造の黒真珠は、突然煙を吹いた。
あれはまったくの無害だけど、驚かせる効果としては絶大。
しかも、それだけじゃない。
パァン!という乾いた音が、会場内に響いた。
「え?何?」
「なんだ今の音!?」
人々の声が上がり始めた。
「し、真珠だ…真珠が爆発した!!」
さっきの親切そうなおっさんが、大きな声を上げた。
…よしっ、そら行け!
3つ。さらに3つ。
次々と、色々な方向に真珠を転がす。
これくらいなら、バレないでやるくらいわけはない。
「ま、まさかキッドが真珠に…」
どっかのおっさんが声を上げている。
目論見通り、って奴だな。
転がって行った真珠は、色んな場所で爆発を起こした。
と言っても、害が出るほどの爆発じゃない。人がパニックを起こす程度のものだ。
やがて、計算通りのパニックが人々を混乱させた。
こんな真珠はつけてられない、とブローチを放り投げるもの。
我先にと逃げ始めるもの。
人々の波は荒れ狂ったように流れ、やがて外へと向かい始めた
その波の中で、会長夫人が突き飛ばされて座り込んだ。
「大丈夫ですか?」
慌てて駆けより、肩を支える。
今だ!
人の目が捉えるよりも早く、オレはブローチを奪い取った。
「あ、ごめんなさいね、蘭ちゃん…」
「あれ…?」
近寄ってきた園子さんは、驚いたように会長夫人の胸元を見つめた。
「ママのもなくなってるわよ、黒真珠…」
「え?」
数秒後、彼女の高らかな悲鳴が上がった。
自信持ち過ぎなんだよ、会長夫人さん。
ちゃーんと戴いたぜ、漆黒の星(ブラックスター)は…。
「キッドよ!!キッドに「漆黒の星(ブラックスター)」を盗まれましたわ!!」
「なにぃ? じゃ、奥さんが着けていたのが本物の…」
警部が気を取られたその一瞬を付いて、扉が開かれた。
どうやら、人の波に刑事が耐えられなくなったらしい。
「逃すな!今、外に出た奴がキッドだ!!」
警部は慌てて外に流れ出た人々の後を追っていった。
お探しのキッドは、ここにいるんだけどな。
それに、逃げたりしねーよ。蘭さんとして、一度下船するんだしな。
オレが心の中で笑っていると、誰かの小さな手がオレの手を握った。
あん?誰だ?
「蘭ねーちゃん、ボクらも捕まえに行こう!!」
「え?」
う、うわ、このボウズ…。
「わかったんだよ!怪盗キッドの正体が!!」
「え〜〜〜〜〜っ!?」
ま、マジ!?
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