Fantastic Fortune

婚姻の儀





後編













 翌日、セイリオスに一通の手紙が届いた。
 政務の溜まっていたセイリオスは、執務室から一歩も外に出る事ができなかったので、この手紙の真意を手紙の主に尋ねる事が出来なかった。
 手紙の差出人は、シルフィス=カストリーズ。
 内容は、セイリオスとの婚姻を断る、簡潔で丁寧な文章だった。
「ハジムめ……」
 誰の差し金であるか、セイリオスは読んですぐに分かった。
 昨日熱心に反対していた、あの眼鏡を掛けた家臣である。
 書類は山のように詰まれている。この部屋には監視がついている。扉に下位の兵士達が立っているのだ。
 それでも、とセイリオスは着替え出した。
 簡易な服装に、帽子。ベランダからベランダに飛び移り、気付かれぬように宮廷を抜け出る。
「こんなとこ、ディアーナに見つかったら言い訳できんな」
 抜け出るときに毎回思うことを口にして、セイリオスは近衛騎士団の寮へとひた走った。
 裏に回ると、多くの窓が並んでいる。上位の騎士から騎士見習いまで、多くの騎士達がここに暮らしているのだ。
 右から3番目、上から2番目、下から3番目。3階の部屋がシルフィスの個室である。
 近くの小石を拾うと、狙いを付けてその窓に投げつけた。
 カツン。そんな小さい音がする。しばらくすると、窓がそうっと開いた。
「……殿下!!」
「やあ、シルフィス。少し、良いかな?」
 彼女が降りてくるまでの短い時間を永遠ほど長く感じながら、セイリオスはおとなしく待った。
「すみません、お待たせしました」
 シルフィスがパタパタと駆けてきた。気まずそうに視線を泳がせる。
「この手紙の事について、聞きに来たんだが……いったいどういう事だい?」
 目をそらしたまま、シルフィスはぽつりと言った。
「その、ままです。結婚は、出来ません」
「何故!この間はOKしてくれただろう!!」
 強く二の腕を掴むと、焦ったような困ったような目がセイリオスを見上げてきた。
「わ……私は、私は騎士です。女でもありますが、その前に殿下を守る近衛騎士なのです。なのに、その守るべき対象と婚姻の儀を交わすと言うのは……」
「私は、君を選んだんだ」
「すみません、殿下」
「シルフィス………」
「すみません、殿下……っ」
 セイリオスは、言葉を失った。自分が自分の意志に頑ななように、シルフィスもある意味頑固だった。それを知っていたから、もう何も言えなかった。
「シルフィス」
「すみませ……」
「愛してるよ、シルフィス」
「っ!!」
 その時シルフィスがどんな顔をしていたのか、セイリオスには見えなかった。
 すでに、背を向けて歩き出していたからである。




「振られてきたか」
 顔を上げると、そこには悪友の姿があった。
「シオンか」
 無表情とも言えるような顔で、セイリオスは呟くように言った。
「知っていたのか?」
「…………」
「そうか。おかげで、思い出したよ」
「……何をだ?」
 シオンの顔に、笑みはなかった。
「私は、この国を継ぐ王子の為に、ここにいるんだった。それを思い出した。
 それ以上でも、それ以下でもない。俺の想いは、手の届かぬ高望みだった様だ」
「セイ、ル……」
「俺はシルフィスを愛している。多分、これからも、この先ずっとこの想いを抱えていく事になると思う。でも、高望みはしない。俺の中に、この想いがあれば良い」
 シオンは何も返せなかった。セイリオスの瞳が死んだ魚のように輝きを失ったのを見て、自分が何をしてしまったのか、やっと理解できたのだ。
「もう、恋はしない」
 ただ、王になって欲しかった。何も心配する事はなく、安心してみていられる、立派な王に。シオンが望んだのは、自分の幸せと、親友の立派な姿。だがそれは、必ずしも自分の親友を幸せにするとは限らなかったのだ。そして、シオンは今までそれに気付かなかった。
「どうした、シオン。久しぶりに、飲みにでも行かないか」
「そうだな……付き合おう、セイル」
 取り返しのつかない事を、してしまったかもしれない。
 そう思って、シオンは覚悟を決めた。



 その日から、セイリオス皇太子殿下の顔に笑みが消えた。






「殿下、いる〜?」
 バタンッと大きな音を立てて、少女が入ってきた。
 メイ=フジワラ…異世界からの来訪者である。
「メイ」
「あのさ、街でこんなのを見つけたから、殿下にもあげようと思って。
結構おいしかったから、思わず一杯買っちゃってさ。ディアーナにもあげようと思ったんだけど、いなかったし。先に殿下にあげるよ」
 可愛らしいお菓子を手に乗せて差し出す彼女に、久しぶりに笑みが零れた。
 が、それも口元だけの話しである。
「…ね、殿下。どうかしたの?なんか最近おかしくない?」
「大丈夫だ、メイ。ありがとう」
「そう?ならいいけどさ。最近なんだかみんな暗くってさー。遊びに行こうって言っても、シルフィスもディアーナもまるで誘いに乗らないんだもん。ちょっと寂しいね」
 シルフィスの名が出ると、セイリオスは硬直した。
「悪いが、メイ。仕事が溜まっているんだ」
「あ、ごめんね。じゃ、あたしもう行くね」
 帰る為にドアノブに手をかけたメイは、不意に振り向いていった。
「あのさ、殿下。誰に何言われたのか知らないけどさ、したい事は無理しないでしちゃった方が良いよ。自分のしたいようにしないと、ストレス溜まっちゃうよ」
「……っ、メイ…」
「あ、ごめん、余計だったね。じゃ、また来るね」
 ひらひらと手を振って、メイは執務室を出て行った。
 この時のメイの言葉は、思いつめたような暗い表情をしたセイリオスに、「たまにはお忍びで出かけた方が良いんじゃないか」とはっぱをかけているだけである事が、後になって分かる。が、今のセイリオスにはそんな細かい事まで気が回らなかった。
 考えていたのは、婚姻について、のみだったのだ。

 セイリオスは次第に無口になって行った。
 メイの台詞に駆け落ちまで考えたが、自分は振られたのだとあっさり却下した。
 その結果、考えるのを止めてしまった。
 駆け落ちも説得も、もう考えない。なるようになる。それが最終的にセイリオスが出した答えである。つまりは諦めたのだ。
 そして、婚姻の儀……つまり結婚式当日。
 まるで人形のような無表情さで、セイリオスは立っていた。
 自分がこれから何をするのか、誰と結ばれるのか、まったく興味なさげだった。
「セイル」
 新郎控え室にシオンが入ってくる。この日はさすがにいつものような服装ではなく、きちんとした正装を着ていた。
 が、そのシオンに目もくれず、セイリオスは昨日やっていた仕事の書類をチェックしていた。正装を着て、である。
「セイル!」
 書類を取り上げて名を呼ぶと、セイリオスはやっとシオンに顔を向けた。
「何か用か、シオン」
 冷たい言葉をかけられ、シオンは一瞬ためらった。が、心を決めたように口を開く。
「おれは、出来るだけの事をやった。納得していない者も大勢いる。だが、これから先はお前の問題だ。
 すまなかった」
 シオンはそう言うと、人目を避けるようにさっさと部屋を出て行った。
 正直言って、セイリオスには何がなんだかさっぱり分からなかった。
 が、それもすぐに忘れてしまった。何事にも関心を持てなかった。
「セイリオス殿下、お待たせしました」
 家臣が迎えに来て、やっとセイリオスは書類から目を離した。
 神殿へ続く道。そして神殿に入ると、大勢の人が立っている。ヴァージンロードには一人の女性。
 前もって言われていた通りにセイリオスは前へと進んだ。
「これより、婚姻の儀を行います」
 神官長がおごそかにそう言う。
「セイリオス=アル=サークリッド、汝はシルフィス=カストリーズを妻とし、パートナーとし、共に生きる事をここに宣言できますか」
「はい。私は女神メーベの御名において、シルフィス=カストリーズを……」
 そこまでいって、セイリオスはようやく気付いた。これは自分の婚約者の名前ではない。
 横を向くと、金の髪がさらさらと揺れ、ヴェールの向こうに翠の目が笑っていた。
「……妻とし、パートナーとし、共に、永久の時を刻む事を、ここに誓います」
「では、シルフィス=カストリーズ。汝はカストリーズ家を出、セイリオス=アル=サークリッドを夫とし、パートナーとし、共に生きる事を誓いますか」
 呆然と見るセイリオスに微笑みかけ、新婦はゆっくりと口を開いた。
「私、シルフィス=カストリーズは、カストリーズの名を捨て、セイリオス=アル=サークリッドを夫とし、パートナーとし、共に、永久の時を刻む事を……そして、騎士として彼を守る事を、女神エーベの御名において、誓います」
「ならば、誓いのキスを」
 儀式になぞらえて、二人は向き合った。
 セイリオスがヴェールをあげると、確かにそこにはシルフィス本人がいた。
「何故……」
 驚きを隠す様子も無く、セイリオスは呟くように問うた。
「シオン様が、私のところに来ました。
婚約者と結ばれる方が、クライン王家には良いだろう。でも、私と結ばれる方がセイリオス、貴方にはいいだろう、と。
 貴方を愛しています、殿下……いえ、セイル。
 騎士として永遠にお守りするのが、私の騎士としての、正しい愛し方だと思っていました。でも、貴方の側にいたい、いえ、いさせてください。
 貴方の隣で、一生、守らせて頂きます」
 セイリオスは急いでシオンを振り返った。
 シオンはディアーナの隣で、ニヤリと笑ってみせた。
「……私の台詞を取らないでくれないか、シルフィス。
 お前が私を……俺を守ってくれるなら、お前の事は俺が守る。
 ずっと、側にいてくれ、シルフィス」
 唇が触れる。それはどちらからとも無く、優しく、長く触れた。
「我らは、エーベに誓う。永久に命を共にすると」
 クライン王国皇太子殿下・セイリオス=アル=サークリッドの顔に、ようやく本当の笑顔が戻った。そして同時に、国民は幸せそうに笑う皇太子妃を目にする事が出来たのだ。

 こうして、結局セイリオスの願い通りになってしまった。
 皇太子の婚姻の儀は、めでたいうちに幕を閉じるのである。






 ただひとつ、セイリオスの願いが通じなかった事があった。
 それは。









「どうしてだめですのっ!?」
「駄目だと言ったら駄目だ!お前にはもっとふさわしい人を探してやるから、あいつだけは諦めろ!」
「いーやーでーすーわっ!!お兄様、シルフィスと結婚できたのはいったい誰のおかげですの!?誰がシルフィスを説得したと思ってますの!?」
「いや……それとこれとは話しが別だ!
 私は、お前に幸せになってもらいたいんだ!」
「わたくしは今のままで十分幸せですわ!シルフィスもメイも、好きな人と好きなようにしているのに、どうしてわたくしだけお兄様の言う事を聞かなきゃいけないんですの!?」
「シオンと兄弟になるのだけは、絶対に嫌だからだ!」
「子供みたいな事言わないでくださいまし!」



「ねぇシルフィス、あの殿下のどこが良かったの?」
「今それを言われると、返答につまりそうです」
「多分、わがままで子供っぽいとこだろ」
「……そうかもしれませんね」
「あれがこの国を支える未来の国王かと思うと、少々泣けてくる気がしますが」
「キール、それ言い過ぎ」
「……いえ、そうでもないかも……」
「シルフィス、頑張って手綱を引けよ」
「…………」
「シオンも、ある意味頑張ってよね」
「俺はいつでも頑張ってるぜっ」
「仕事もそうだとありがたいのですが」



結論。王子様とお姫様を入れてトリプルデートなどを考えると、ケンカどころでピクニックどころではなくなるようです。それに…………


「セイリオス殿下っ、どこへいらしたのですかっ!?」




もれなく邪魔が入るようです。








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