Fantastic Fortune

婚姻の儀





前編













 その日、神殿では忙しそうに式の準備が行われていた。
 式……それは、この国の王子・セイリオス皇太子殿下の結婚式の事である。
 ここまで来るのには、揉めに揉めた。
 それは、セイリオス皇太子殿下本人が言ったある言葉が原因だった。





「殿下、今何と……何とおっしゃられました?」
 家臣の内の一人が、何を聞いたか理解できない、と言った顔でそう言った。
 セイリオスはいつもの落ち着いた表情で……いや、いつもよりもわずかに緊張したような面持ちで、自分の言った言葉を繰り返した。
「近衛騎士団第13小隊所属のシルフィス=カストリーズを私の妻として迎えたい、といったのだ」
 家臣達の間に、もう一度大きなどよめきが起きた。
「シルフィス=カストリーズと言うと、あの辺境の村から来たアンヘル族でしょう!」
「とんでもないことです!あんな田舎者の、しかもアンヘル族の血を王家に引きいれるなどと……釣り合いが取れませぬ!」
「お考え直しください、殿下!あのような愚にもつかない馬の骨を妻にするなど、陛下がお聞きになったらなんとおっしゃられる事か………」
 家臣達は口々に批判した。
 が、セイリオスはそれを予測していたのか、顔色一つ変えずに黙って聞いていた。
 そして、ゆっくりと口を開く。
「しかし、私はもう決めてしまったのだ。
 自分の妻を決めるのに、他人の意見を聞く事は出来ない」
「それは違います」
 即座にセイリオスの言葉を否定して見せたのは、やはり家臣の内の一人だった。
 彼は気難しい顔をして眼鏡を指の腹で押し上げた。
「殿下が町に住むような普通の男であったならば、そういう事も言えましょう。ですが、殿下はこの国を……このクライン王国の将来を担う大事な方。皇太子殿下の妻といえば、将来はこの国の王妃となられるお方です。
 代々我が国では、数いる貴族の中から最も位の高い貴族の娘を皇太子殿下の妻とします。その子供が幼い頃から皇太子妃としての教育を施し、見事な貴婦人となるべく、殿下にその一生をささげてまで努力した一人の女性がいることを、まさか殿下とてお忘れではないでしょう。
殿下がただいまおっしゃったお言葉は、その一人の女性の今までの人生を無駄にし、その貴族の面目をつぶし、多くの人々を不幸に至らしめる言葉です。
人々の事をお考えになるのでしたら、どうぞお考え直しを。
あなたには、一人の人間として以上の責任があるのです」
 彼の言った言葉はもっともであり、セイリオスに言い返せる言葉は残っていなかった。
 もっとも、彼の友人であり異世界の人間でもあるメイ=フジワラがこの場に立てば、自分の人生なのだから自分で決める、くらいのことは言ってのけたかもしれない。
 彼の悪友でもあるシオン=カイナスとて、同じような事を言ってのけるだろう。
 だが、彼に言い返せる言葉はなかった。
 家臣達がここまで頑なに彼の言葉を拒否する理由を、彼自身が知っていた為でもある。
「……取り敢えず、今日の会議は解散しましょう。
 このまま話しをしていても、埒があきませんから〜」
 高級文官のアイシュ=セリアンはそう言って会議の終了を促した。
 家臣達もそれに従い、会議室を出ていく。セイリオスはそれを黙って見ていたが、静かに立ちあがって執務室に戻った。




 執務室の扉を開けると、ふんわりと甘いにおいが漂ってきた。
 見れば、テーブルの上に菓子と紅茶が乗っている。
「お兄様、お疲れ様ですわ。もう会議は終わりましたの?」
 中にいた少女はにっこりと笑ってそう言った。ディアーナ=エル=サークリッド。セイリオスの妹に当たる。
「勝手に部屋に入ってはいけないよ、ディアーナ」
「お兄様が会議でお疲れになると思って、差し入れに来ましたの。お邪魔でしたかしら?」
 時計を見れば、勉強の時間である。自分の妹が勉強を抜け出してここにいるのは分かったのだが、今はその妹の想いに心が休まるので、知らぬ振りをした。
「いや、大丈夫だ。ありがとう」
「紅茶が冷めてしまいましたわね。今入れ直しますわ」
 ディアーナはいそいそとお茶の準備を始めた。
 セイリオスはそれを黙ってみていたが、不意に口を開いた。
「ディアーナ」
「なんですの、お兄様」
「誰か、好きな人は出来たかい?」
 ディアーナはきょとんとした顔をした後、嬉しそうににっこりと笑った。
「ええ、たくさん出来ましたわ。メイも、シルフィスも、とても良いお友達ですし、アイシュもレオニスもガゼルもとても良くしてくれますわ。キールの言動には少々むかつきますけど、悪い人じゃありませんし」
 にこにことしてそう言った妹姫に、セイリオスは苦笑した。
「違う、そういう意味ではなくて」
「え……?」
 二度きょとんとしたディアーナは、兄の言う意味を理解したのか、さっと顔を赤らめた。
 その表情を見て、セイリオスは自分でした質問に腹が立った。
「あ、あの、それは………」
 明らかに恋をする女性の顔である。自分の妹が少女から一人の女性になろうとしているのを知って、セイリオスは複雑な気分になった。
 もともと、妹想いで知られている―――というより、シスコンで知られているといった方が良いのかもしれない―――セイリオスである。妹が恋をするのは年齢的に当たり前だと思っていながらも、自分の中に理不尽な怒りが込み上げてくる。
「べ、別にシオンの事なんて、なんとも思ってませんのよ!本当ですわ、お兄様!」
 なるほど、シオンか。セイリオスは心の中で呟いた。
 自分の親友でもあるシオンは、何で有名かといえばその遊び好きで有名であると、十人いれば全員が言うだろう。
 遊びといっても、それは多くの意味を持つ。
 仕事をしない、の遊び好き。
 仕事より庭弄りが好きらしい、の遊び好き。
 そしてもっとも問題なのが、女好きである“遊び”好きだ。
 一番最初のものは本人が「仕事をしているところを見られるのが嫌い」と思っているからであり、2番目のものはそれが本当の趣味であることから、特に問題はない。仕事に関しては良く出来る男なのだ。
 だが、問題は最後の遊び好きだ。要するに女好きで、ここ一年間で手を出した女性は数知れない。その手の早さは、メイドから街の女性から、兎角幅広い。
「お、お兄様、さ、紅茶が入りましたわ!」
 ディアーナは慌ててカップをセイリオスに差し出した。
 セイリオスがシオンに対して「ディアーナはお前にはやらない」と言っているのを、ディアーナ自身も何度か聞いた事がある。それがどこまで本気なのかは知らないが、完全に冗談だと言うのではない事を、ディアーナはちゃんと分かっていた。
 向かい合って紅茶をのみ、日々の他愛も無い話しをした後でセイリオスはゆっくりと話しを切り出した。
「ディアーナ、自分と同じ年の姉が出来る……と言うのは、どう、思うかい?」
 兄がたどたどしく言う姿を見て、自分の兄が何を言わんとしているかがピンと来た。普段はおっとりとしたお嬢様のディアーナだが、余計なところで妙に鋭いところがあった。
 例えば、友人の恋愛感情について、であるとか。
 ディアーナはにっこりと笑うと、肯いて言った。
「ええお兄様、とっても嬉しいですわ。あまりに年上ですとか、年下ですと仲良くなれないかもしれませんもの。同じ年なら、きっと仲良くやっていけますわ」
 セイリオスは、その言葉に安心したように肩を落とした。
「…………」
「ん、どうしたディアーナ」
「た、例え話ですけれど、お兄様は……その、自分より年上の方が、弟になるとしたら、どう思います……?」
 安心して穏やかになっていたはずのセイリオスの目は、再び不機嫌な色に彩られた。
 ディアーナはびくりとして慌てて立ちあがると、身支度を整えた。
「そ、そろそろ行かないと家庭教師達が心配しますわ。 それでは、お兄様」
 あわてて礼をすると、ディアーナはパタパタと遠ざかっていった。
 セイリオスは自分の修行の足らなさに思わずため息を漏らした。




 独りになって、セイリオスは先ほどの会議を頭の中で反芻した。
 釣り合いが取れない。愚にもつかない馬の骨。一人の女性の今までの人生を無駄にし、その貴族の面目をつぶし、多くの人々を不幸に至らしめる言葉。
 一人の人間として以上の、重い、責任。
 彼の言っていた事は、真実だった。シルフィスと結婚する為の説得には力を惜しまないと決めていたが、彼の言葉は予想以上にきつかった。
 自分の為に不幸になる女性がいる。自分の為に生きてきた女性がいる。
 セイリオスは書類にサインする手を止めて窓に近寄り、そのまま、ずるずると床の上に座り込んだ。
 シルフィスを愛している。妹の友人として王宮に来ていた少女とも少年とも言えなかった、美しいシルフィスを。
 金の髪はいつもさらさらと風に揺れて、翠の瞳は優しく微笑んでいる。
 アンヘル族であろうと無かろうと、セイリオスには関係なかった。
 去年の10月に、クラインはダリスと緊張状態に入った。その時に協力してくれたシルフィスは、メイ・レオニス・キールの3人と協力し、見事にダリスを救ってみせた。
 あの一件で騎士として、英雄として認められたシルフィスであれば、家臣も納得するだろう……と思った自分が甘かった。
 が、それもそうだとセイリオスは自嘲の笑みを浮かべた。
 自分は、セイリオス=アル=サークリッドは王家の人間ではない。死んだ王子の代わりとして王家に迎えられた身代わり……幽霊のようなものだ。
 実の父の顔も、実の母の顔も知らない。この体の中に流れている血はどこの人間のものとも分からない者なのだ。それを思い出すと、セイリオスは小さく笑った。
 卑しいはずの自分が皇太子である。でも、それは別にかまわなかった。逃げ出そうとも思ったが、それは悩んだ末にシルフィスの言葉に救われ、自分の中で決着がついた事だったのだ。
 だが、家臣達は違う。
 彼らの多くはセイリオスの出生を知らなかった。だが、意見をしてきた眼鏡の家臣は、自分の出生を知っている数少ない一人だった。
 王家の人間ではなく、王家の血の流れないセイリオスが王になりクライン王家を継ぐのであれば、別のところから王家の血を流し込む。例えば、妻の血から。
 幼い頃から婚約者だと決められていた少女は、貴族達の中でも王家の血を強く引いていた。彼女の血であれば、王家の物としても認められる。そして、彼女とセイリオスの子であれば、王家の血を引いた正統なる後継者だと言える。
 だが、一介の騎士であるシルフィスは、アンヘル族出身である。もちろん王家とのつながりも無く、セイリオスと共になれば王家の血は流れなくなってしまう。すると、隣の国に嫁いだ王女の子孫を、ゆくゆくは王家に迎えなくては行けない事となるのだ。もしくは、ディアーナを貴族の嫁にして、そこから王家の血を引きいれるしかない。だが、王女として利用価値の高いディアーナを国内の貴族に嫁がせたところで、王家にはメリットが特に存在しなかった。要するに、「無駄」と言う事だ。
 とすると、セイリオスがおとなしく婚約者と婚姻の儀を交わしてくれれば、クライン王家になんのかげりも無くなる。
 そこまで考えて、セイリオスは深いため息を吐いた。
 自分の血が卑しいものの血である、と思い込んでいたセイリオスは、いまだ自分の中に後ろめたい物を感じている。頭はすでに納得済みなのだが、だからと言って心も納得しました、と言うわけには行かない。
「もし出来るなら、このまま……」
 そう呟いて、セイリオスは苦笑した。
 そんなことできるはずも無い。それが分かっているからだ。
「逃げるなんて言ってくれるなよ、セイル」
 キィ、と扉が軋んだ音を立てた。
 その扉の前にいたのは、群青の髪を持った男……シオンである。
「おまえさんが逃げれば、俺が追う事になる。それだけはごめんだ」
「……分かっている。心配するな、シオン」
 わずかな笑みを浮かべ、セイリオスは自分の悪友を見上げた。
「シルフィスを妻にしたいって、言ったんだって?」
 シオンはセイリオスの前に座り込んでそう言った。
 仕事の為に先ほどまで出かけていたシオンは、会議には参加できなかった。代わりに参加した者から話しを聞いたのだろう、と見当を付けて、セイリオスは肯いた。
「本気か?」
「本気だ」
 打てば響くようなセイリオスの返事に、シオンはため息を吐いた。
 婚約者との結婚がもたらす利益が分かっている以上、セイリオスの味方は出来ない。それがわかっているからこそ、出たため息である。
「どれだけのリスクを負う事になるのか、分かって……いるよな?」
「…ああ」
「それでも?」
「それでも」
 一度固めた意志を簡単には曲げようとしない自分の親友を良く知っているシオンは、もう一度つきそうになったため息をなんとか押しとどめた。
「茨の道だ。メリットは少なく、デメリットが多い。不幸にする人間の数だって、かなり多い。他国の印象が落ちると言う確立もあるだろう。それでも、お前はシルフィスを選ぶんだな」
「……彼女以外に、俺の妻は考えられない」
 その言葉を聞いて、シオンは説得を諦めた。
 長い付き合いである。言葉を聞くだけでも、十分に彼の意志を理解できる。
「俺は味方にはなれん。出来るなら、貴族の娘と愛の無いかもしれない結婚をしてもらいたい。―――俺は、お前に王になってもらいたいんだ」
「……わかっているさ」
 分かっている。そう口の中で呟き直して、セイリオスは友人の背を見送った。






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