ピンポン。
なんて、軽やかな音と共に、新一は目を覚ました。
…記憶の彼方に、何回か聞いた気がする。そう言えば、と新一は思いだした。
普段、ああした来客者を出迎えるのは、年中入り浸っている快斗か、大阪からわざわざ入り浸りに来る平次の役目だ。
その二人が、今日は二人とも居ない。
平次は昨日、事件が終わった直後に用が出来たとか何とかで大阪にとんぼ返りしていったし(但し、今日の昼頃には戻ると宣言して行った。何しに帰るんだよと言ったのは勿論新一だ)、快斗は……昨日の今日だ。きっと、市内かそれに近い場所にあるだろう隠れ家で、のんびりと惰眠をむさぼっているに違いない。仕事の翌日は、大概昼過ぎに顔を出すのが通常だ。
それを思い出して、新一はムクリと体を起こした。
時間を見れば、とうに昼を回っている。
(……まだ来てねーのか、あいつら)
ムッとしたが、それを怒れる筋合いでは勿論ない。この家は元々新一のモノだし、両親がこの家に不在な以上、主は新一に他ならない。入り浸っているとは言え、客が出るのは不正解なのだが。
ピンポン。
またチャイムが鳴った。新一は部屋を出ると、とんとんと階段を下り始めた。
一体こんな時間に誰だろうか。新聞屋……この辺りの新聞屋は、夜に集金を行う。大体、日がずれているから違うだろう。じゃあ蘭?…蘭なら、もっと連打するだろう。新一が元に戻ってからと言う物の、来るときのチャイムはいつも連打である。朝っぱらは弱い新一の行動など、とっくの昔に予測済みだ。なら目暮警部?…警部ならチャイムを鳴らす前に電話だ。携帯にも家にも掛かってこない所を見ると、まず違うと見て間違いない。
じゃあなんだろう……あ、セールスかもしれない。そう思いついて新一はムッとした。
(…んーな朝っぱらから)
もし服部だったらぶっ殺してやる、といささか物騒な台詞を吐きつつ、ようやく玄関に到着した。
ピンポン。
(うるせーうるせー)
きっちり掛けて置いた鍵と鎖を外して(泥棒には有効だろうが、快斗には無効だ)、新一はようやっとドアを開けた。
「はい」
開けてから思い出した。―――インターフォンがあるじゃねーか。
再びムッとしながら顔を上げると、見覚えのない男がムッとした顔で立っていた。
いや、どこかで見た覚えならある。あるにはあるが…
(…誰だ、コイツ)
栗色より明るい茶髪に、割合端正な顔立ち。スーツなんかばっちり着こなしている所を見ると、もしかしたらイートコのお坊ちゃんかもしれない。そう言えば、なんだか高そうな車が門の向こうに止まっている。
少し経って、新一はようやく彼を思い出した。コナンの時に顔を合わせた、白馬探と言う同い年の高校生探偵である。あんまりブッキングしたことがないから、すっかり頭の中から抜けていたらしい。
その彼はと言えば、新一の顔を見るなり不機嫌な顔でこう言い散らした。
「…まさか、君が先に出てくるとは思わなかった」
……酷い言いようである。確かに新一が出ることは稀だが、此処は工藤の家なのだから、新一が出て当然の筈である。
(…あんだコイツ)
「…話には聞いていたが、それが真実だとは……さすがの僕も予想だにしなかったよ。まさか君が、彼と共にいて平気だなんてね」
彼…と言うのは、間違いなく快斗のことだろうと新一は思った。
快斗と共に居て平気だとは、一体どう言うことなんだろうか。
(コイツ…快斗のこと、知ってるのか……?)
黒羽快斗が、怪盗キッドであることを。
「……工藤新一と言えば、僕でも知っていますよ。名高い『日本警察の救世主』と有名ですから?」
なんだか褒められても嬉しくないのは何故だろう、と新一は顔をしかめる。
「その彼と共にいるなんて、君はどうかしている!」
(どうかしてるのはオメーの方だ……あ?)
心の中で言い返してから、ここに来てようやく新一はそれに気付いた。
「……誰が誰と一緒に居るって…?」
ぼそりと呟いてみる。
「ですから!君と、工藤新一がです!」
…………。
考え直してみれば、本日の工藤新一はとびっきりの寝起きだ。しかも、昨日はシャワーを浴びた後、乾かすこともせずベッドに潜り込み、ごろごろと寝返りを打ちつつ熟睡した。疲れ果てて居たのだから仕方がないにしろ、本日の寝癖もまたとびっきりである。
鏡はないが、後頭部を撫でてみた。ぴこんと跳ねた寝癖が手をくすぐる。
(……俺が俺と一緒にいてどーすんだよ)
ムカムカしていた心が、急激に冷めた。
思い返してみれば、新一の幼なじみである毛利蘭も、初めて快斗を見たときには「寝癖が酷い!」と怒り、赤の他人であることを全く考えもしなかった。
ひっくり返してみれば、二人が相当似ていると言う証明でもあるのだが、まさか同じ探偵相手にそれが通じてしまうとは、新一にとって思いも寄らなかった事である。
(……馬鹿だ、コイツ)
目の前の白馬探を見やってみれば、困ったような顔で怒っている。
ああ、そうかと心で呟いた。彼は―――純粋に快斗を心配しているのだ。新一が快斗の正体を知っている、なんてことはつゆ知らず。
不意に悪戯心が働いた。
(……快斗の喋り方、快斗の喋り方…)
新一はフンと鼻を鳴らしてニヤリと笑って見せた。少々ぎこちないが、快斗の笑い方に似ている。少しの違いは、顔の同一性で誤魔化されてくれるかもしれない。気付いた時はその時だ。
「オレが誰といよーと、関係ねーだろ」
肩を竦めて見せる。こんな動作を新一はしないが、快斗は良くするのだ。
「関係なくありませんよ!彼は確かに殺人専門に近い探偵ですから、君には関係ないかもしれませんが、最近は時折二課の手伝いもします。気付かれたら終わりだということが、君にも分かっているでしょう!?」
(……知ってて心配してんのか)
探は、間違いなくもう一人の新一だろう。快斗の正体を知りながら、それを警察に漏らすことなど一片たりとも考えない。あくまで、現場で、キッドを捕まえる事にこだわっている。
「さーな?」
短い言葉で空とぼけて見せた。
…正直、新一は演技にそれほど慣れていない。快斗のように、すっかり成り代わってしまう事など、出来なやしないだろう。
(あんまり長くからかってらんねーな。ここらで……っと!?)
視線をそらしたその先。門の前。
そこにいたのは間違いなく、黒羽快斗だった。
きょとんとした顔でこちらを見た後、すぐさま状況を理解したのか、手で簡単に髪を整えて―――新一は、何かを使ったのだろうと思った。いつもピンピンと景気良く跳ねている彼の髪が、体よく新一のように治まったのだから―――、表情を引き締めた。それは、まるで新一そっくりである。
吹き出さないようにする事の方が、大変だった。
「……なにしてんだよ」
新一のぎこちない演技とは違い、快斗の演技はさすが、堂に入っている。
実の親でも気付くまい。
「…君は」
ぎくり、と探は体を強ばらせた。話を聞いていたのだろうか……そんな事を心配してるのかも知れなかった。
「……あ?誰だオメー」
いかにも新一が言いそうな台詞を吐いて、快斗はカバンを担いだまま、さっくりと新一に近寄った。
「友人?」
「…ま、な」
快斗は新一の前まで来ると、探に見えない角度でぺろりと舌を出して見せた。
(………ぶっ)
笑いそうになってしまう。
「話があるなら、中に入ってからでも遅くないんじゃないのか?何も、他人の玄関先で繰り広げることねーだろ」
「いえ……僕は、黒羽くんに話があるんですっ!」
と言ってがっしり掴んだのは、勿論新一の腕だ。
「…………ぶっ」
掴まれて、やっぱり吹いてしまったのは新一だった。
「……あのねェ、そこで吹くと、全部ダメになっちゃうデショ」
「わ、わりぃ、つい……」
腕を掴まれたまま、体を居ってクククと笑う新一を、探は呆然と見下ろしていた。
「……あの?」
「…悪いんだけどな、お前が『話がある』っつってるのは、どっちの黒羽快斗だ?」
「どっちの………?」
うっくっくと笑い続ける新一と、苦笑を堪えきれない快斗。そして、呆然とする探。
しばらく呆然としたまま二人を見比べていたが、やがてそれに気付いた。
「〜〜〜っ、騙しましたねっ!?」
「…騙されるお前がどーかしてるぜ、白馬」
新一は、とうとう声を高らかに挙げて笑い始めた。
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