アッサムティーにモンブランのケーキ。
珍しくチョコの無いセレクションに安堵しながらも、新一は紅茶を大量に飲みながら溜息を吐いた。
何しろ―――甘い。
ケーキにしては甘味押さえめである。快斗は極甘も大好きだが、工藤家では甘みが押さえめのケーキを選ぶようにしていた。それは、甘いものが苦手な新一に対しての、快斗の優しさである。が、そんな気遣いは正直、新一に対して何にも効果を生まなかった。―――甘いものは、甘いのである。
そんな二人の丁度あいだくらい、至って一般的な味覚の持ち主である平次にとっては、普通のなんて事はないケーキだ。普通のそれより、少し美味しいだろうか。ケーキを食べ比べた事のない平次には分からない事だ。
だが、平次の舌は、旨味には反応しなかった。彼の意識は現在、目の前にいる親友のそっくりさんに注がれている。
「………ん?なに?」
自分の分をぺろりと平らげた快斗は、漸く平次の視線に気付いて顔を上げた。口の端には、ちょこっとマロンクリーム。これではまるでお子様である。
「………〜〜〜っ」
どうにも我慢できなくなり、快斗の顔を台拭きで拭ってしまった平次である。
「うわぁ…テーブル拭く布巾で俺の顔拭くなよ、お前ー。ああ、勿体無いマロンクリーム……」
「じゃ、じゃかァしいがな。イヤなんやったら、もうちィと綺麗に食べェや」
文句を言う快斗に、平次はもはや何と答えたらいいのか分からなくなっていた。そんな親友を横目に、新一は快斗の頭を叩く。
「拭いた物を食おうとするな」
「だって…勿体無い」
「三つも食べて、未だ不満かよ、お前…」
呆れた声を上げられて、快斗がきょとんと新一を見返した。
「…名探偵は足りなくないの?」
「もう結構」
「……だって、一杯食べなきゃ駄目なんだろ?」
「こんな甘いモンばっかり、食ってられるか!」
へぇ、そういうもの?と首を傾げる。そんな快斗に、当たり前だと怒る新一の横顔を、平次はぼんやりと眺めていた。
数日前。新一に電話をした平次は、日常事と一緒に、とんでもない台詞を聞いた。
「あ、なんやって?」
『だからさ、怪盗キッドと知り合いになったんだよ』
頭の中に風が吹き抜ける。一瞬、頭が空っぽになってしまった錯覚を、平次はしっかり認識してしまった。
「…なん、やって?」
『オメーな、何度も言わせんなよ…。学校帰りとか、制服のまんまで良く来るぜ。今度、土曜か日曜に泊まりに来るんだけどさ、オメーも来るか?』
知り合いになったのは怪盗キッドだと言ってなかっただろうか。空っぽになった後、平次に脳裏に思い浮かんだのは、窓から忍び込むキッドの姿である。彼は怪盗なのだ。一体誰が正面玄関から正々堂々と入ってくるだろうと思い描くものか。
それなのに。
「制服…?なんや、その、制服っちゅーんは」
制服と言ったら、もはや学生服くらいしか思いつかない。実際には企業の制服やら警察の制服やら、山ほど「制服」と名の付くものはあろうが、基本的に制服と言ったら、ガクランやブレザーなどの「学生服」を意味する。
…なんて此処まで考えなくても、学校帰りと言われて普通思いつくのは学生服だ。平次もそう思った。
(……怪盗キッドが、学生服ぅ?うそやん…)
『ガクラン。アイツんとこ、セーラーとガクランなんだって』
(ああっ、ホンマにそのまんまかいな!)
思わず、受話器を手にしたまま悶えてしまう。
別段、キッドに大して夢や理想を抱いている訳ではなかったが、平次の会ったキッドはいつでも優雅且つ礼儀正しく、その行動の端々までキザで、決して生活感を見せることはなく、一種彼は存在しているのだろうかと疑念さえ抱かせるような、現実感に溢れない、とても空想的な存在だった。正体不明、神出鬼没に本当に相応しい怪盗だ。
もっとも、平次とて「名」の付く探偵に分類される人種だ。あのキッドが彼自身の演技であり、実在する人物なのだとちゃんと認識している。
…だが。
『んでよー、めちゃめちゃ料理美味いんだよな、アイツ。オレも多少は自信あったけど、自分が家事向きじゃねーのは知ってっし…ほら、片付けとか面倒くせーじゃん。んだけど、アイツそういうとこまできっちりやるのな』
「…はぁ」
『3時のティータイムやら、寝る前の酒やら、そういうのが好きでさ。マメだよホント。アイツが来るようになってから、家、綺麗になったもんなー』
「…………」
『服部?聞いてんのか?』
「あ、ああ、あ、聞いとる聞いとる」
平次は慌てて返事をした。はて、誰の話をしていたんだろうか。
本当に怪盗キッドの話だっただろうか。
『ま、いっか。来るなら来るで、連絡しろよ。オメー、いっつもやることが唐突なんだからよー……あ、来週末は来ても無駄だからな。アイツ、予告状出してっから』
本当だった。
「…わ、わかった…そやったら、今週の末に行くわ…」
『ああ、んじゃアイツにも伝えとくよ』
それが、今週半ばの話。
そうして平次は此処にいるのである。関東どころか、最近は全国で名うての名探偵・工藤新一と、こちらは日本どころか全世界の有名人、インターポールに手配されているにも関わらず、未だに正体もなにも全て不明の大泥棒、怪盗キッドが仲良く肩を並べてケーキを食っている、此処に。
(…オレ、常識人やったんやなぁ……)
生まれたての仔猫の如く、服装と髪型以外で見分けのつかない二人がコロコロとじゃれ合っているのを見ながら、平次はぼんやりとそう思う。
この後どないしょ。そんな事を思う平次に、一本の魔の手が(もしくは、助けの手が)…伸びた。
「あれ、来客。はーい」
ピンポン♪と軽いチャイム音に、快斗の腰が上がる。新一の腰はいつも通り、重い。快斗が居なければ、玄関口に出ていたのは平次だったろう。
軽い足取りで玄関に出た快斗は、あっと言う間に戻ってきた。
「何、集金?」
「いや、目暮警部。このすぐ近くで事件なんだって」
「あ、ホント?」
新一はさっと腰を上げ―――こういうときばかり軽い―――玄関へと向かった。二言三言話すとリビングに顔を出す。
「ちょっと言ってくる」
「なんや、オレも行こか?」
「いや、良い。大した事件じゃなさそうだし、覗いたらすぐに帰るから」
それならば何のために出向くのだろう。瞬間的に、快斗と平次が全く同じ事を思う。
新一は出ていく間際に声を潜めると、快斗に向かった。
「お前、出てくるなよ。万が一ってこともあるからな」
ああ、と快斗は頷いた。平次もすぐに理解する。幾ら信じられまいと、彼が怪盗キッドだと言う事実に代わりはないのだ。
じゃあ言ってくるとさっくり出掛けてしまった新一を見送り、快斗は大きく溜息を吐いた。
「べっつにバレやしねーのに、名探偵の心配性〜」
「なんや、そないな言い方ないやろ」
む、と眉を寄せて、言い返した平次に、快斗は肩を竦めて見せた。
「オレの幼なじみの父親、キッド専任なんだよ」
「…中森警部、か?」
「ご名答っ!キッドになってから、延々と欺いてるんだぜ?一緒にメシだって何度も食ってるし。蘭ちゃん相手にするよか、警察の方がよっぽど欺きやすいってもんよ」
なるほど、と平次は頷いた。直接対決する警察達は、割合真っ直ぐな者たちばかりだ。本当に手の掛かる警察達は自分で動きはしない。特にキッドを追う警視庁捜査二課の面々は、熱血精神旺盛な頑張り屋ばかりで、扱い易い事この上ない。
女の直感が鋭すぎる新一の幼なじみ・毛利蘭と比べれば、どちらが楽なのかは言わずもがなである。
「せや、中森警部って言えば」
ポン、と手を叩いて、急に平次が快斗を振り返った。
「ん?」
「工藤に言い忘れてしもた。来週、オレも捜査に加わる事になったんや」
「来週って…」
オレ?と自分を指さした快斗に、不承不承平次が頷く。
「せや。…怪盗キッドの、予告の事や」
依頼されてしゃーないんやけどな、とちょっと嫌々っぽいそぶりを見せつつ平次が言うと、快斗は予想を違えてにっこりと笑った。
「あ、ホント?じゃあ今回は名探偵だけじゃないんだ。うわ、楽しみ楽しみ♪やっぱり探偵が居ないと、仕事にも張りが出ないんだよねーっ」
「…あ?」
「ほら、ロンドン帰りの名探偵が、またロンドン帰っちゃったでしょ」
「ああ、白馬な」
「そのお陰で、名探偵が参加しない限り、探偵がだれ一人居なく成っちゃってさー。最近、名探偵も手ェ抜いてる訳じゃないんだろうけど、ちょっと手加減気味っぽい行動するし、ちょっとダレてたんだよね。西の探偵のお陰で張り合いが出るよ。楽しい舞台にしようなっ♪」
舞台とは間違いなく対決の場の事だろう。現場だ。
「……あ、あのなぁ」
「なんだよ、本当に楽しみにしてるのに。西の探偵が来るなら、もっと作戦を練らなきゃなーっ」
快斗は嬉しそうにソファに座ると、ごろりと身を横たえた。
…きっと思考に入ったのだろうと平次は思う。だが。
「………………………ぐーっ…」
「寝とんのかいっ!」
一瞬ツッコミを入れて起こしてやろうかとも思ったが、平次は寸での所でやめた。
本当に寝入ってしまったらしい快斗の顔はあくまで先ほどと同じ、無邪気だった。子供の寝顔を想像していただきたい。あんな顔だ。
未だに信じられない。平次にはどう見ても、普通の少年にしか見えなかった。書斎での一件がなければ、今も嘘だと思っただろう。今の平次にとっては、信じられなくてもコレが事実だと解る。
ソファに丸まっている快斗に近寄って、額をつついてみた。むぅと呻って、快斗が眉を寄せる。もう一度つつくと、くすぐったそうに笑って更に丸まった。
(…なんや、子供みたいや)
クッ、と笑いそうになって声を抑える。起こしたくはない。
「…何してんだ、服部」
もう戻ってきたのか、ドアから新一が覗いている。平次はそっとソファを離れると、快斗を指挿して笑った。
「寝てんねん」
「…ああ」
クッ、と新一も小さく笑った。
「なるほど。…帰りにたこ焼き買ってきたんだけどさ、お前も食わないか?」
「こっちのたこ焼き…んまいんかいな」
「京タコだから結構美味い」
疑り深そうに新一に近寄った平次は、玄関マットの上に置かれた、誰が食べるのか不安になるほど大量のたこ焼きに呻き声を上げた。
大量のたこ焼きに幸せそうな新一と、怪訝な顔つきで新一を見やる平次に……こっそりと目を開けた快斗が笑っていたのは、内緒の話だ。
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