「遅い・・・」
キールは不機嫌そうにつぶやいた。
椅子の背もたれに体重をあずけ、視線を外に移す。
日はとっくに沈み、もう真っ暗だった。
「ホントに遅い・・・」
キールはもう一度、今度は少し不安げにつぶやいた。
何が遅いのかというと・・・それはもちろん“メイの帰り”である。
門限破りなんて日常茶飯事なのに、最近は姿が見えないとすぐ不安になってしまう。
元の世界に戻ってしまったのかも・・・、と考えてしまう。
(あいつ一人でそんな事・・・どうやって戻るっていうんだ?)
不可能だ、とわかってはいる。でも、
(メイは異世界人だ。もしかしたら何らかの力で・・・)
メイがここに残ると決めてから、こんなことばかり考えている。
いつか消えてしまうのではないか、と恐れている。
「今日は姫のところに行くとか言ってたが・・・」
不安を振りきるように、椅子から立ちあがる。
キールは早足に王宮へ向かった。
「ああ!あとちょっとでしたのに!」
「おしかったね、ディアーナ。でもちょっとの差だろうと勝ちは勝ちだよ」
「うう〜、11連敗ですわ。」
ここは王宮、ディアーナの部屋。
メイとディアーナは昼からずっとチェスをやっていた。
二人を知るものなら、「ずいぶんと知的なゲームをやっている!」と驚くかもしれないが、
ディアーナもメイも、遊びとして頭を使うことは好きだった。
そしてディアーナは、11戦11敗で敗戦記録を更新中であった。
「メイは強過ぎですわ。わたくしこれでもチェスは得意ですのよ。
お兄様にも“筋がいい”って誉められましたし・・・」
ディアーナは頬をふくらませながらぼやいた。
セイリオスもチェスは強かったが、もしかしたらメイはそれ以上かもしれない。
「あはは、そう拗ねない、拗ねない。今度はトランプでもやろっか?」
メイはディアーナをなだめながら、次の遊び道具となるトランプを取りだした。
そしてふと、何気なく窓のほうを見て・・・
「ぶどひゃわぁああ〜!」
と、奇声をあげた。
いきなり変な声をだされたので、ディアーナは椅子から落ちそうになった。
「い・・・いきなり何ですの?びっくりしたではありませんか」
ディアーナはまだドキドキしている胸を押さえながら聞いた。
だがその言葉も耳に入らない様子で、メイはあたふたと椅子から立ち上がった。
「た・・・大変!もう外真っ暗だよ。門限とっくに過ぎてるみたい!」
と、窓の外を指差しながら騒いだ。
一度は出したトランプをあわてて鞄に放り込む。
「じゃあね、ディアーナ。また今度遊ぼうね」
と手を振って、あっという間にの部屋を出ていってしまった。
一人残されたディアーナは展開の速さに着いていけず、メイの走り去った扉をぼ〜っと眺めていた。
(だあ〜、もうキールに怒られるよお)
メイは大通りを全力疾走した。
そして頭では遅くなった言い訳を考えているあたり、器用といえば器用だった。
(“帰りがけにディアーナが倒れた”ってのはすぐにばれちゃうだろうし・・・
“落し物を探していた”ってのは前に使ったことあるしなあ・・・)
しかも嘘だってばれて、余計怒られたんだよねえ・・・、と過去の経験から使えそうな言い訳を探す。
そしてふと、手首にいつもの感触がないことに気づく。
嫌な予感がした。
反対の手で手首をさわってみる・・・
(時計がない! 走っている間に落としたんだ!)
あの時計は15歳の誕生日に、仕事で忙しい両親が、無理に時間をつくって買ってきてくれたものだ。
ディアーナの部屋をでるときにはたしかにあったのに、言い訳のつもりが本当に落としてしまったのだ。
メイは真っ青になった。
こんなときだけ取り繕って、と思った時期もあった。
でも今なら理解できる。不器用な人だったのだと・・・
もっと不器用で、そして優しい人が側にいるから。
(どうしよう・・・こんなことなら付けて歩くんじゃなかった!)
今更だとわかっていても後悔せずにはいられない。
このまま腕時計が見つからなければ、両親とのつながりが・・・元の世界とのつながりが切れてしまうような気がした。
もちろん時計なんて無くても家族の絆は消えない。
でも遠く故郷を離れたメイには必要だった。
(とにかく探してみよう)
メイは泣きだしたいのを我慢して、来た道を戻っていった。
(まったく、どこほっつき歩いてるんだか・・・)
広場を歩きながらキールは考えた。
王宮に行ったら「もう帰った」と言われ、行き違いになったのかと思い研究院にもどれば「まだ帰ってない」と言われる。
(道に迷うわけはないし・・・まさか本当に元の世界に?)
打ち消したはずの考えが、再び心をかき乱す。
気持ちが焦りだす。手が震える。
(あいつがいなくなったら、俺は・・・)
ガサッ
突然、少し離れた茂みが揺れた。
どうやら人がしゃがみこんでいるようだった。が、暗くて顔までは確認できない。
「メイ?」
呼びかけてみるが反応はない。
違うのか、と思ったが急病人という可能性もあるのでこのまま無視するわけにもいかない。
キールは警戒しながら近寄った。
(やっぱりここなのかな)
メイは混乱した頭を整理しようと深呼吸した。
大通りなどはひととおり探した。残るはこの広場だけ。
(一番探しにくいところに落としたみたいね・・・もう地面もよく見えないし)
大きくため息をつく。辺りは真っ暗だった。
(こんなことなら、炎系の魔法をもっとしっかり勉強しておけばよかった)
メイの魔法は、今ではキールにも引けを取らないほどに成長した。
ただそれは、威力に話しを限った場合のこと。
大きすぎる自分の魔法に振りまわされ、うまくコントロールができないのだ。
(無いものねだりしても仕方ないもんね)
なんとか気を取り直し、時計を探し始めた。
だが、いくら探しても見つからない。
(一度研究院に戻って、キールに手伝ってもらったほうが・・・)
ふとそんな考えもうかぶ。だが首を振って打ち消す。
(今来られたら、私がまだ元の世界にこだわっているということが知られてしまう・・・)
「キール・・・」
メイは虚空にむかって呼びかける。
(心配をかけたくない。キールにこの未練を気づかれたくない)
残ると言ったのは無理をしていたのか?、と悲しそうな顔をされるかもしれない。
それでなくても、彼は自分を召還してしまったことに責任を感じている。
そんな彼のこと、メイを「元の世界に帰す」とか言い出すかもしれない。
(そんなのは嫌! キールの隣にいたい!)
一緒にいられなくなるなんて、もうメイには考えられなかった。
(でも・・・それはあの時も同じだったじゃない?)
この世界に召還された日。
あの日は3日ぶりに母親と顔を合わせた。たいした話しもしなかったけど・・・
まさか会えなくなるなんて夢にも思わなかった。
(キールともいつか、会えなくなっちゃうのかな?)
メイは身震いした。そんな日が来ると思うと、怖かった。
でもそれでもまだ、家族に、学校の友達に会いたいと思ってしまう。
(私がこんな迷ってると知ったら、キールは無理矢理にでもを私を送り返すかもしれない。)
キールはそんな優しさをもっている。
それが嬉しくて悲しかった。
(この国に残ると決めた時、“元の世界のことは忘れる”と心に決めたのに・・・
元の世界のことも忘れられない、キールとも離れたくない。どちらかを選ぶしかないのに・・・)
メイは泣き崩れた。
近寄ってみると、うずくまっていた人影はやはりメイだった。
やっと見つけてほっとしたが、門限を破ったことからキールは少し厳しい口調で声をかけた。
「やっぱりメイじゃないか。呼んだんだから返事くらいしろよ」
メイは反応しない。
ただ顔を伏せ、肩を震わせているだけだった。
キールは怪訝におもい、今度は先ほどとは違い柔らかく問いかけた。
「メイ、どうかしたのか?」
それでも反応がない。
仕方なく膝をついてメイの顔をのぞきこむ。
「メイ・・・」
キールは絶句した。
いつも笑顔を振りまいていたメイが泣いている。
院の長老に大切な思い出を壊されたときもこんなにはならなかった。
メイは目を真っ赤にして、声をあげないよう必死に堪えていた。
「なにかあったのか? 怪我でもしたか?」
キールは自分がひどく取り乱していることを自覚した。
ただ今は、そんなことより泣いている少女をなんとかしてあげたくて・・・
(俺にこんな感情があったなんてなんてな・・・)
こんな時なのに、なんだか少し可笑しくなった。
キールはメイを抱きしめて、できるだけ優しく囁いた。
「落ち着いてからでいいから、話してみろよ。俺はいくらでも待つからさ。」
その言葉でメイはやっと反応した。
ゆっくりと顔を上げ、キールと視線を合わせる。
「・・・キール。わたし」
その声はずっと泣き続けていたためか、ひどく枯れていた。
両目からは、体内の水分を全て吸い取ったような涙が溢れている。
メイはとぎれとぎれに話しだした。
「わたし・・ね、時計を落としたの。おと、さんとおかあさ、がくれた・・・
わたし、家族や友達との思い出を、捨てられない。大切なの。
ここに残るって、決めたんだから、捨てないと・・・やってけないのに。捨てないとつらいのに。
でも、でもね。キールと一緒にいたい。はなれたくなんてない・・・
一度はキールをえらんだけど、今わたしまよってる。
このままじゃ帰りたいって言いだすかもしれない。怖い。どうしよう。どちらかひとつなんてえらべない。」
滅茶苦茶で、言いたいことがまとまらない。
わかっていても感情が高ぶってどうにもならない。
それでもキールには伝わったようで、
「ごめんな。気づいてやれなくて。ひとりで辛かっただろう?」
と、彼は少し悲しそうな顔をして言った。
少しもメイの迷いを責めていない。むしろ気づかなかったキール自身を責めている言葉だった。
胸が苦しくなった。
キールの優しさが、嬉しくて痛かった。
(私の感情はキールに対する裏切りなんだよね・・・)
メイは零れでる涙を止めることができなかった。
(俺が彼女を迷わせているんだ・・・)
自分と元の世界、そのどちらも選べなくて苦しんでる。
(「気づいてやれなくて」、なんて大嘘だ。
本当は気づいてたくせに。 気づいてて、それでも手放したくなくて・・・自分のことしか考えてない。
ちゃんと元の世界に帰してやるのが俺の責任だった。それなのに・・・)
キールはこぶしを握り締めた。
(俺はただ板ばさみにして苦しめただけ。それでも・・・!)
キールはまっすぐメイを見つめた。
「メイ、すまない。本当は俺、おまえが苦しんでいるの知っていた。
自分の気持ちを優先させて、おまえの気持ちから目をそらしていた。自分がひどく汚い人間だって思い知ったよ。
でも・・・それでも俺はおまえを離せない。もうおまえなしでは生きていけないんだ」
ここまでこの少女に溺れるとは思っていなかった。
キールは軽く笑った。
「それでも、おまえの幸せは守るよ。
おまえが望むならおまえの世界とこことを行き来する方法だって見つける。
そりゃあ、すぐにってわけにはいかないけど、何年かかっても必ず見つけ出してやる。」
キールはメイに、そして自分自身に誓いを立てた。
(これが俺にできる最善のこと。だから・・・)
「だから・・・それまで待って欲しい。おまえが側にいることが俺の幸せだから、メイ」
いつのまにか涙が止まっていた。
こんなにキールが自分のこと想ってくれているなんて知らなかった。
自分ばかりがキールのことを好きだと思っていたのに・・・
(・・・ここまで言われたら、待てないなんて言えないわよね!)
いつもの笑顔がもどっていた。
今まで泣いていたのが信じられないくらいすっきりしている。
「キール、絶対だよ。家族や友達を紹介するからね。約束だよ。」
メイが差し出した小指にキールの小指が絡む。
「ああ、待ってろよ」
キールもほっとした顔で笑う。少し緊張していたらしい。
(大丈夫、また家族には会える。キールがいるから寂しくない)
きっと二つの世界を行き来できるようになる。信じられる。
(私がこっちに召還されたのだって奇跡なんだから、あと一回くらいは奇跡だって起こるはずよね)
エーベ神だって今更出し惜しみはしないだろうし・・・、と敬虔な信者が聞いたら怒りかねない事を考えた。
「じゃあ、それまでに子供の一人でも作っておかなきゃね。やっぱり孫の顔は見たいだろうしね!」
メイはにっこりと笑い、キールで遊ぶ。
キールはその不意打ちに固まってしまった。
「・・・メイっ!」
三秒ほど固まった後、メイを怒鳴りつけた。
顔が少し赤い。
その姿がなんだか可愛くてメイは吹き出してしまった。
研究院までの道をキールと歩きながらメイは決意する。
(結局時計は見つからなかったけど、キールも私のために頑張ってくれるんだから、私も魔法の勉強をがんばってキールのお手伝いをできるようにならなきゃ!)
星空を見上げて勇ましくこぶしを握りしめた。
後日談
メイが落とした時計はどうなったかというと・・・
回り回って骨董屋の店頭に並び、そしてなぜかレオニスのもとに落ち着くこととなる。
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