メイは大きく伸びをした。
空には雲ひとつもなく、気持ちいい風が吹いている。
「こんな日に勉強なんて……さぼっちゃおおうかな」
「そうはいかないぞ、メイ」
突然後ろから声をかけられてドキンと心臓が跳ね上がる。突然じゃなくてもいつでも彼の声には反応してしまうのだけど。
「キール! いつの間に帰ってきたの?」
たしか朝の話では夕方まで書庫から戻らないと言っていたのに。
気のせいか顔が青ざめているような気がする。
「もしかしてあたしがさぼると思って早く帰ってきたの? いいじゃない。こんな天気のいい日ぐらい勉強さぼったってさ」
「ちがう、そうじゃないんだ。メイ急いで仕度しろ」
「仕度! 何言ってんのよ!! ちょっと!!」
「急いで! 母さんが来てるんだ!!」
「は? お母さん?」
お母さん? それはもしかしなくてもキールのお母さんの事なのだろうか。
お母さんが来ている。それがどうして仕度することにつながるのだろうか。
「いいから!」
「きーるぅ……もう手遅れですう……」
「アイシュ……母さん、シオン様まで。いったいどうしたというんです? 皆さんお揃いで」
そういうキールの顔は引きつっている。
「いやー、おまえさんが逃げるんじゃないかと思ってな、後つけてきたんだ」
アイシュの声が聞こえると思ったらシオンまでいた。アイシュの影には女性も立っている。どうやら彼女がキールたちのお母さんらしい。
「ねえキール。どういう事なの? もしかして後ろにいてる人がキールのお母さんなの?」
アイシュの後ろにひっそりと立っている女の人……茶色の髪、翠の瞳は間違いなくキール・アイシュのものと同じだ。
「はじめまして。キールとアイシュの母でございます。あなたがメイさんね?」
「は…はい。メイ=フジワラといいます……あの」
キールの母はじろじろとメイの事を眺めている。上から下までなめるような視線に晒されて、さすがにメイもいたたまれなくなってくる。
「可愛い! お母さん気にいったわ。あのキールと付き合うくらいだもの、どんな子なんだろうって気になってたのよね」
言いながら彼女はメイをぎゅっと抱きしめる。
「ああ、女の子っていいわね! 私娘がほしかったのよね。アイシュとキールじゃ可愛げがないもの」
「母さん!! いいかげんにしてくれ! メイだって困ってるだろ」
困っているといえば困っている。
でもそれ以上に驚きの方が何倍も大きい。
この人がキールのお母さん?
無愛想なキールとは全然違う。くるくると表情はよく変わるし、人懐っこく抱きついてくるところも違う。なにより可愛らしいのだ。可愛らしいという時点でキールとは全然違う。
「もう、いいじゃない。メイさんとゆっくりお話ししたいのに」
「そーよキール。せっかくだもん、色々おしゃべりしようよ。何で逃げるのよ?」
「話すだけで終わるか! 母さんはな、俺たちを結婚させようとしてるんだぞ!」
「………結婚?」
結婚というのはウェディングドレスを着て教会で式を挙げるアレの事だろうか。
「……あたし、まだ17歳なんだけど……」
「だけど嬢ちゃん、17歳っていったらもう成人してるんだぜ。結婚したっておかしくないだろ? 現にディアーナ姫だって去年ダリスに嫁いだだろ?」
「そうだけど。でもあたしのいた世界では20歳で成人なの!」
「ふーん……。じゃあ嬢ちゃんは結婚したくないわけだ」
「そういうわけじゃ……ないけど。なんていうか、気持ちが追いつかないのよ。キールの事は好きだよ。結婚だってしたいと思うよ。だけど急にいわれても……」
何となくキールが逃げたくなる気持ちが分かるような気がする。
結婚って言われるとなんだか尻込みしてしまうのだ。したくないわけじゃないけどまだ早い、そんな気がするのだ。
「だいだいさ、シオン。何であんたがここにいるのよ」
「いや、王宮でなアイシュと母君に会ってな、これは面白そうだと思ったからさ。ついてきたってわけ」
そういってお気楽そうに笑うシオンをキールがじとっと睨みつける。
「まあまあ。そんな事はどうでもいいじゃないですかぁ」
「よくない!!」
みごとにメイとキールの声がハモった。
「シオンだって人の事言えないじゃない! あたしより10歳も年上のくせに。あたし達より、あんたの方が先じゃない」
「お、そういう事いう。だったら責任もって俺をもらってくれよな」
「何でそうなるのよ。だいたいあたしがもらわれる方でしょ」
「まあ、駄目よ。メイさんはキールと結婚するんですもの」
「いいかげんにしろ! 母さんもしつこいんだよ」
「そんな言い方はないじゃない。でもいいわ、もう手は打ってあるから。ねえメイさん?」
「は…はい」
「もしあなたが嫌な子だったら無理やりにでも引き離そうと思ってたのよね。でもあなたはとっても可愛いから気に入ったわ。キールを大事にしてあげてね。それじゃあねキール。私はしばらく王都にいるから」
「はいはい。……ったく、人騒がせなんだよ」
キールはドアが閉まったのを確認して大きくため息をついた。メイも力がどっと抜けて床に座り込む。
「ねえキール」
「ん?」
「キールは……あたしと結婚したくないの?」
メイはキールの目をじっと見つめる。
お願いだから目を逸らしたりしないでほしい。そう願いながら。
キールは軽くため息をつくとメイの横に座って、ぎゅっと手を握り締めてくる。
「俺はこの手を離さない。そう言ったよな? それは嘘じゃない。今でもそう思ってる。これからもきっと変わらないよ」
「うん……」
涙が出そうな程嬉しい。普段は余りそういった事を言ってくれないからよけいに嬉しいのかもしれない。
きっと二人は永遠に一緒に生きていける、そんな気がした。
「盛り上がってるところ悪いけど、そこまで言ってるんだから結婚式挙げてもいいんじゃないかしら」
「母さん!! 帰ったんじゃ……」
「さあさあ、メイさんはこっちに来て。アイシュ、キールは任せたわ」
「は、はいぃ」
「え…ええ!? ちょっとキール!」
「キールには後で会えるから。とりあえずこっちに来て」
強引に引っ張って連れてこられた先はなんと王宮だった。
「お待ちしておりましたわ、メイ。さあこちらですわよ」
「ディアーナ! いつ帰ってきてたの?」
ディアーナはダリスにいるはず。なのにどうしてここに?
「ふふ。親友の結婚式にわたくしが出席しないはずありませんわよ。この部屋ですわ」
ディアーナが開けてくれたドアの向こうには信じられない物があった。
「………これ、いつのまに………?」
目の前には純白のウェディングドレスがあった。レースは控えめで少し古風なドレスが。
「このドレスは私が嫁いできたときに来ていたドレスなの。この姿をしたお嫁さんを見るのが夫の夢だったの……。ごめんなさいね、メイさん」
「え……?」
「こんな急に結婚式なんて……。今日は夫の命日なの。あの人に息子のお嫁さんを見てもらいたくて……」
申し訳なさそうに俯いているキールの母を見ていると、結婚が早すぎるなんて言っている自分の方が我侭をいっているんじゃないかと思えてくる。
「さあ、早くドレスを着て下さいな。わたくしも手伝いますわ」
ドレスを身に纏うと不思議な程気持ちが落ち着いてくる。
そっと顔を上げると鏡の中に自分の知らない自分が映っていた。
鏡の中に映っているのはキールの為だけの自分。他の誰の為でもない、キールのためだけの……。
「お母様……そう呼んでもいいですか?」
「ええ」
「お母様、ここで式を挙げてもいいんですか。どうせならキールの故郷で……」
「いいのよ。どこで挙げたってきっとあの人は見ているわ。あなたは向こうには知り合いがいないでしょ?」
「さあ、メイ。そろそろ神殿に向いましょう。キールも待ちくたびれていますわよ?」
「うん……」
キールは今どんな気持ち何だろう。
怒ってる? それともあたしとおんなじ気持ちなのかもしれない。
不安なんてない。あるのはキールが好きだというこの気持ちだけ。
きっとキールもあたしだけを……。
「汝、メイを一生涯妻とする事を誓いますか?」
「はい、誓います」
「汝、キールを一生涯夫とする事を誓いますか?」
「はい……誓います」
「それでは、誓いのキスを」
キールはそっとメイのヴェールを持ち上げ、そっと唇を重ねた。
「俺は一生お前を離さない……」
「うん……あたしも」
離れない……。
きっと二人はずっと一緒に……。
Fin.
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