太陽の少女









少女はよく星空を見上げていた。
どこか懐かしそうな…寂しそうな横顔を、キールは何度も目にしている。
彼女のそんな表情を見るたび、心臓のどこかが痛みを訴えた。
何故なのか―――怖くて、まだ考えられないけれど…。


「キール! まだ起きてる…よね?」
昼間もほとんど人通りのないキールの研究室の前である。
臆する事もなく声をかけてくるのは、異世界から来た少女―メイ―以外にいるはずがない。
実は結構うとうとしていたキールは、かなりの仏頂面でメイを迎える事となる。
「…何か用か?」
「用がなきゃ来たら駄目だっていうの?」
挑戦的な瞳。
まるで内側から光を放つ恒星の様に、彼女の周りはパワーに溢れている。
…溢れ過ぎて周囲にまで被害を及ぼすのが玉に傷だが。
「普通、来ないだろ…。特にこんな時間。女が1人でうろうろするもんじゃない」
キールはいらいらしてきた。
わけもなく腹が立つ。そのことにさらにイライラする。
「ふーん…心配してくれてるんだ」
にっと笑う少女に、だからキールは必要以上に冷たい視線を投げかけた。
「馬鹿か。俺はお前の監視役なんだからな。お前に何かあったら俺が困るんだよ」
「でも私を心配してくれてる事に変わりはないでしょ?」
あくまでそう言い切る事の出来る強さは――いや、強さというよりは思い込みかもしれないが――どこから来るのか、不思議で仕方がない。
(俺にはこんな真似、死んでも無理だ…)
もし自分にこんな真似が出来たのなら…きっと、今のようにひねくれる事はなかった。優秀な…いや、『天才』と呼ぶしかない兄へのコンプレックスに歪まされることはなかっただろう…。
(自分の気持ちだって正直に認められただろうに…)
何を思ったのか自覚のないまま、ただやるせない憧れの想いに溜息をついてしまう。

(キール…やっぱり疲れてるんだ…)
自分をもとの世界に返す為、昼も夜もなく努力をしているキール。
(…そんなこと、もうしなくていいのに…)
悔しいから認めたくないけれど、好きな人が出来てしまった。
だから、もうそれほどまでに『帰りたい』とは思えない。
(しょうがないよね。だって、きっと私が一番知ってる。アイシュにだって、今のコイツに関してなら負けないよ)
誰より長く側にいて…知ってしまった。
優しいキール。
頑張ってるキール。
不器用なキール。
(でも、こんなに根つめてたら倒れちゃうよ…)
「ね、キール、外に出ない? 気分転換」
「…なんで俺がそんなことしなきゃならないんだ」
「だからー、気分転換だって」
「必要ない」
「あっそ。…ふーん…。じゃ、1人で行くわ。…私に何かあったらあんたの責任だからね!」
「な…」
眉を跳ね上げたキールを尻目に、メイは走り出す。
(なによーっ!キールの馬鹿馬鹿馬鹿!!人が折角心配してやってんのに!)

「あの、馬鹿!」
走り去ったメイを、キールは慌てて追いかける。
(『何かあったら』だと?…あってたまるか!そんなことになったら、俺は…)
俺は?
もやもやした何かが、一瞬鮮明に見えた気がした。
そこには眩しい太陽があって、キールは今までのどんな時より安らいでいて…。
(馬鹿馬鹿しい…何を考えてるんだ、俺は)
首を振って考えを追い払う。
はっきり言ってメイは足が速い。一瞬メイの勢いに押され呆然としていたキールには、すでに彼女の姿は見えない。
だが、キールの目指す方向は一つだ。
…知っているから…。
彼女が時折寮を忍び出ては、クラインの見渡せる丘に一人座り夜空を見上げている事…。
最初、彼女がいないことに気付いた時…キールの心臓は音をたてて痛んだ。
針のように細く鋭い痛み。
探して、探して、ようやくメイの姿を見つけて…何とも言えない安堵感を覚えた。
それと同時に込み上げてくる怒りにまかせ、彼女を怒鳴りつけようとして…できなかった理由も鮮明に記憶している。
いつも元気が良く強気な少女…。その強い瞳しか見た事のなかったキールにとって、彼女の横顔は全く別人のようにも見えたから…。
涙も、声もなく。それでも彼女が泣いているように見えて…。

青白い月光が少女を見下ろす。
近付くと壊れてしまいそうな危うい均衡。
清らかな乙女にしか許されない聖域。

…近付く事が出来なかった。
彼女を失いたくないと思ったから。壊したくないと思ったから…。
(わかってるさ…)
心の奥の声。耳を傾けない様必死に抑えてきた想い。
(俺は…俺は彼女を…)
聞いてはならない。そうしたら止まらない。
…彼女を、元の世界へ帰せなくなってしまう…!

「…メイ」
「なんだ…速かった、ね」
荒い息を整えながら声をかけたキールに、メイも少し苦しそうに言葉を返す。
「…知ってたからな」
彼女の後をつけて、何度かこの場所には足を運んでいた。
そっと物陰から彼女を感じていた。
…多分、自分以外誰も知らないメイの姿を一目に晒したくなかったから…守っていたのだ。
「え?」
「…なんでもない」
「変なキール」
くすっと微笑み、メイは夜空を見上げる。
「…きれーだよねぇ…。ほんとはさ、キールと星を見ようと思ってたの」
星を掴み取ろうとするかのように、メイは天に向かい手を伸ばした。
「たまーに、思う。…ひょっとしたら、私は『異世界』じゃなくて、この星のどこかから来たんじゃないかな…って」
「星の…?あんなところに人が住めるのか?」
「ん…そっか。まだここではわかってないんだっけ?あのね、多分ワーランドって世界も『星』の一種なんだよ。私が住んでたのは『地球』って呼ばれてた…。地球は、『太陽』って恒星のまわりを一定の周期でまわってて…それが、一周したら一年が過ぎたってことになるの」
空を見上げるメイの表情は、痛いほど澄んでいる…。
「星は…自分で光を出せない『惑星』はね、恒星の光を受けて輝くの。…だから、ひょっとしたらこの中のどれかが『地球』かもしれない…」
儚い、夢のような。
希薄な、メイ。
自分の世界を思って、彼女はここで泣いていたのだろうか?
声も出さず。涙も流さず…。
「…帰りたいのか?」
(当たり前だ!)
心の声を無視して振り絞った声は、掠れれいた。
「…帰ってほしいの?」
逆に問い返されて、答えに詰まる。
「私って、やっぱり邪魔?騒ぎばっかり起こすし…落ち着きはないし。わかってるよ。そんなこと自覚してる。だけどさ、やっぱり私は私だから。これが私だから。…誤魔化して生きるのはイヤだから…」
(ありのままの私を、せめて必要としてくれてる?)
これが今のメイに出来る、精一杯の『告白』。
どんなに儚く見えても、やはりメイの瞳は力強い。
真っ直ぐと視線を逸らさないそれは、太陽のようにすべてを惹きつける。
「…お前は…うるさいし、我が侭だし、すぐ失敗するし、被害は大きいし…」
「う…」
「でも…でもそれがお前なんだな。自分に正直で、強くて…嘘のない…」
(もう、いい…。わかったよ。降伏だ…)
逆らえない吸引力―――その瞳。
「キール?」
「…お前がいれば退屈はしないだろうからな」
不器用で遠回しな…でもそれは。
「側にいていいってこと?」
「自分で考えろ」
照れたようにふいっとあらぬ方向を見るキール。
そんな彼を驚いたようにたっぷり10秒は見つめた後、メイは花が綻ぶように微笑んだ。


意地っ張りの2人が素直に気持ちを伝えるのはまだ先の事だけれど…。
未来を予測させる、星空の澄んだ秋の夜。


太陽の少女。
内側から光を放つ、恒星。
全てに優しく光を注ぐ彼女は、でもたった一つの存在を見つけてしまったのだ。
時に苛烈で容赦ない少女が選んだのは、自分の世界ではなく…。

(側にいるよ。何があっても…どんな時も。2人なら、いい。寂しさも、悔しさも、2人でなら…乗り越えられるよね?あんたも私が好きなんだよね?ね、キール…)


「また2人で来ようね、ここ。今が一番キレイなんだから」
「…まあ、気が向いたらな」

もう少女が1人で嘆く事はない。
望郷の念に駆られる少女の傍らにはいつも、それ以上に想う相手がいるのだから。




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