好きだ、という感情は、未だに良く分からない。
愛してる、などと言われると、更にだ。
どれをとって好きだといい、どれをとって愛しているというのだろう。
目の前の少女を見て、俺はそう思った。
「悪いけど……」
俺がそう切り出して断りの台詞を吐くと、彼女は泣きながら走っていってしまった。
言われても判らない上に、会ったことも無い人間から付き合えと言われても断るに決まっている。何故そんな事が判らないのか、と言うことさえ、俺にはさっぱり理解できない。
ため息を吐いて見送ると、その方向からメイが来た。
なんて言う面倒なところに、なんて言う面倒な奴が来たものだ。
「今の子、どうしたの?」
「別にどうもしない。それより、課題はどうした?」
言われるだろう言葉に、今用意した返事を返す。案の定メイは「そんなこと言われなくったってやってるわよ!」と思った通りの言葉を返してきた。
「でもさー、今日天気良いよ?ちょっとくらい遊びに行っても……」
「そう言うことは、課題が出来てから考えるんだな」
メイの提案をさっさと却下して、俺は部屋に向かった。
遠くから、メイの罵声が聞こえる。どうせ「キールの馬鹿!」だの「分からず屋!」だのと叫んでいるのだろうから、俺は無視することにした。
召喚魔法の研究。次元の穴を固定させるための補助魔法。やらなければ行けないことは山ほどある。いちいち構っていられない。
さっさとメイを元の世界へ返さなければ、元々俺がやっていた研究だって進めることは出来ないのだから、腹が立つ。
メイを元の世界に戻せば、静かになるし、研究だって励む。俺は好きな研究に没頭するだけの、昔の日々が帰ってくるのだから、今はがんばるしかない。
部屋に戻って魔法関連の書物を手に取る。
召喚魔法は最近実験が始められたばかりの新しい魔法だ。創造魔法の一環であるといった奴もいたが、そんな事、今はどうでも良いことだ。メイを元の世界に返してから、ゆっくりと調べれば事足りることである。
と、地響きさえ聞こえるような爆発音がして、地面が少し揺れた。
この音には聞き覚えがある。
開いたばかりの書物を閉じ、俺は仕方なく立ち上がった。
「メイ!」
「あ、キール……」
メイの部屋に向かい、ドアを開けると、もうもうと煙が出てきた。申し訳無さそうに笑う彼女の顔を見るだけで、何が起こったのかは理解できた。
彼女・メイ=フジワラは、異世界から来たはずなのにやたらと魔力が高い。理論と意志があれば出来ると言われている魔法だが、その効果などにはやはり先天的な才能が大きく関わってくる。メイはその先天的な才能……それも魔力が、異様に強いのだ。
彼女のいた異世界……ニッポンと言うそうだが、そこには魔法はない。だから魔力を制御する方法を知らないのだから仕方が無いのだが、彼女の魔法はまるでコントロールとは無縁と言わんばかりに暴走する。ここの壁も、幾度壊されたか判らない。
「ごめん、またやっちゃった……」
てへへ、と笑う彼女に、本当に悪いと思っている心があるのかどうかは甚だ疑問である。
古代魔法と武術魔法にやたらと才を見せるメイは、それだけ優れているにもかかわらず何故かファイヤーボール―――火系の魔法の中でも、初歩の初歩―――ばかりを練習する。もうちょっと破壊力の無い魔法を練習すればいいものを。
「怪我は?」
「ううん、別にしてない」
されちゃ困る。上から叱られるのは俺なのだ。これで更に怪我でもされていると、殿下や姫から何を言われるものか判ったものではない。
そう、困るのは、彼女がやたらと王宮の人間と仲が良いと言うことなのだ。しかも、王家の人間は特に彼女に甘いところがある。例え彼女の魔力暴走が原因でも、叱られるのは「管理不行き届き」の俺だ。たまったものではない。
「ならいい。すぐに壁を修復させるから、どこかに避難でもしていろ」
「何処か……じゃあ、キールのとこで魔法の練習ってのは……」
「俺の部屋まで壊す気か?」
冗談じゃない、絶対却下だ!
「じゃ、隊長さんのところにでも遊びに行こうかなぁ」
「ちょ、ちょっと待て!なぜ騎士団に?」
隊長さんと言うのは、十中八九騎士団の小隊長・レオニス=クレベール大尉のことだろう。
「だって、隊長さんのとこってもらい物のお菓子がよくあるんだよねー。片づけてくれると嬉しいって、こないだ言ってたしー」
クレベール大尉と言えば、甘いもの嫌いで有名な人だ。その辺は俺も判るから良いとして、それ以上に無愛想で有名な人である。その人が、いったい何故……。
「あ、それともシルフィスにしようかな。今度ケーキを食べに行こうって約束してたし」
シルフィス=カストリーズ。アンヘル族から来た騎士見習いだ。アンヘル族は女神エーベや創造魔法と深い関わり合いがあると言われていて、俺の研究材料として手伝ってもらったりしている。しかも随分と風変わりで、もうすぐ16になると言うのに、未だ分化していない。つまり、性別がどちらにも定まっていない、珍しいケースだ。
「それから、ガゼルにも……」
「あいにくだが、騎士団は居ないはずだ。今日は郊外まで演習に行っている筈だからな」
「なーんだ」
やれやれ。真実と言うには少々心苦しいが、別に嘘ではないので良しとしよう。
「じゃ、王宮に行こうかなっ」
げっ。
「ディアーナとお茶会ってのもいいしー、あ、アイシュがケーキ焼くって言ってたなー」
あいかわらず、彼女はこの国の第二王女を呼び付けにしている。初めて会って以来、ずっと呼び付けにしているらしい。それでも不敬罪を問われないのは、彼女が気に入られているためである。さすがに皇太子殿下のことは殿下、と呼んでいるようだが……その内名前で呼び出すんじゃないかと、今から冷や冷やしている。
それに兄貴。なんでケーキなんかを焼くんだ、あいつは。言ってたって事は、食べにおいで、とも言ったのだろう。まったく………。
「ああ、そうだ、殿下にも今週はまだ挨拶に行ってないんだった」
行かなくていいんだ、行かなくて!一般人は挨拶しになんか行けないんだ!
まったく、頭が痛い。どうしてみんな、こいつに甘いんだ。
「お茶会にシオンを呼んで、紅茶入れてもらおうかなー」
こ、こいつは……人の気も知らないで……
「あ、そうだ、今日はイーリスが広場に来る日だった!」
……………ったく!
「居て良い」
「え?」
「俺の部屋に居て良いと言ったんだ。魔法の練習は部屋が戻ってから、外でやれば良いだろう」
「だって、さっきは駄目だって言ったじゃん!」
何故かそういうところだけは記憶力が良いんだ、こいつは。
「気が変わったんだ。居ても良い」
外に出すより、よっぽど安心だ。それを考えれば、居心地の悪さだって、耐えられる。
「ふーん……でもなぁ」
「なんだ」
「やっぱり、王宮にでも遊びに行ってくるよ」
っ!こいつは……
「だめだ」
「なんでよ!さっきはどっかに避難してろって言ってたじゃない!」
「王宮に行くと、そのまま門限まで帰ってこないんじゃないのか?」
「……ぎく」
やっぱりな。
冗談じゃないぞ。
「だってさー」
「……俺の部屋で不満なら、二人で郊外の湖にでも行くか?」
「へ?」
俺はしぶしぶながら口にした。だが、その提案は我ながら悪くないと思う。
「なんか、悪いものでも食べたの?」
「なんでだ?」
「だって、キールがそんなこと言うなんて……」
「……たまには、外に出るのも良いかと思ったんだ。
湖を使って、実践での魔法の特訓をしてやる。ちゃんと爆発しないよう、日が暮れるまでみっちりやってやるさ」
「えーーーーっ!?、湖に行ってまでぇ!?」
不満の声を上げるが、とりあえず俺はこの意見を通すことにした。
外に出るのはなんだが、王宮へ行かれるより、よっっっぽどマシだ。
「爆発による壁の修復にも金がかかっていることを忘れるな。
月々渡している小遣いから差っぴいても良いと言うなら、話は別だが。
どうする、王宮に行くか?」
月の小遣いでも足りないとぴーぴー行っているメイだ。断れる筈もあるまい。
「うーっ、判ったわよ!爆発しないように、特訓すればいいんでしょっ!!」
メイは予想通り、あっさりと引っかかった。
これで一安心、と言うわけだ。
その後、湖に向かう途中で俺は思いに思い悩んだ。
何故、そんなにいやだったんだろう。メイを他のところにやるのが。
しばらく考えていたが、どうしても思い付かなかった。
俺が「好きだ」という感情を理解したのは、それから半年以上経ってからのことだった。
その半年後の俺は、今の俺の感情をしっかり理解することが出来たのだ。
やはり、人と言うのは進化する生き物らしい。
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