硬い音がして、ノック音が部屋の中に響き渡った。
女が小さな声で返事をすると、ドアがゆっくりと開いた。
「よぉ」
「……久しぶりだね、シオン」
「ああ、元気だったか?」
女は軽く笑った。昔ではできなかったであろう、なんとも皮肉げな笑みだった。
「何年ぶりだったかね、あんたに会うのは」
「さてな。最後に会ったのは……そう、確か奴が死んだときだったな。だから、7年ぶりか」
「……そう…。もう、そんなに経つのね……」
女が寂しげに笑うのを、シオンはまじめな顔で眺めていた。
シオンは不意に寄りかかっていた扉から離れ、女に近づいた。女の目は、不思議な色を見せていた。
「どうした?」
「……聞くまでもないでしょう?
この7年、この時をどれだけ待った事か」
その嬉しそうな呟きは、シオンの反論を防ぐには十分すぎる言葉だった。
シオンは目を伏せ、ぽつりとつぶやいた。
「まーた、俺だけ生き残っちまうな」
「……悪いね、シオン」
シオンは奇麗に苦笑して見せた。
「かまわねぇよ。……そうだ、知ってたか?
このあいだ、ダリスの女神が亡くなったってよ」
「…ディアーナが………」
「シルフィスとレオニスも30年前に逝っちまった。ガゼルはもっと前だ。
生き残ってる方が、段々少なくなっちまったな……」
「そりゃ仕方が無いよ。あたしたちが初めて会ってから、何年経ったと思ってんだい」
「ま、そりゃそうか」
からからと笑うシオンの目の奥は、笑ってなかった。
「あの世で姫さんに会ったら、よろしく行っといてくれ」
「ああ、そうだね。ほかに何か伝えようか?」
「…………」
窓の外を、一陣の風が舞い去っていく。乾いた木の葉を巻き上げながら。
「愛してた、って伝えてくれ」
「愛してる、にしときなよ、シオン。その方が、ディアーナは喜ぶよ」
シオンは小さく声を立てて笑った。
「そうだな」
女はシオンから目を外すと、天井よりも遠くを見詰めた。
「……嬢ちゃん、どした?」
シオンがそういうと、女は皺に囲まれた目を見開いて大声で笑った。
笑顔だけは、昔と変わらなかった。
「あ、あんたにそう呼ばれるのは何十年ぶりだろうね。
キールと結婚してから、名前でしか呼ばなくなったあんたがさ」
「最期くらいはな。それとも、ちゃんと『メイ』って呼ぼうか?」
「好きにおし。どうせ、あたしはもう行くから」
「……そうか。……子供を呼んで来ようか?」
メイはくすくすと笑って、傍らに立つシオンを見上げた。
「子供には、知らせなかった。あたしは、一人であの人のところに逝きたい。
…あんたがいるのは予定外なのよ、シオン」
「そりゃ知らなかった。なら、お暇しようか?」
「つれないね。どうせなら、看取ってよ」
そう言って、メイは目を閉じた。
シオンの目にも、その魂の輝きが失われていくのがわかる。
魂の輝きは、魔力の源だからだ。
そして、それは生命の証でもあった。
「セイルに…殿下によろしくね」
「悲しむぜ、きっと」
「フフッ……あたしが紹介した、あのこ。上手くやってる?」
「ああ。良く当たるぜ、彼女の占い」
「そりゃよかった。
……ああ、そうだ。シオン、あんたに形見の品でもあげるよ」
「いらねぇからもうちっと頑張れよ」
女は楽しげに苦笑した。
「引き止めんじゃないわよ。…引き出しの一番上に、布に包んでおいてるやつ。あれ、あんたにあげる。…もう、使えないし」
シオンはいわれた通りの場所を探った。そこから出てきたのは、小さなコードが着いた、小さな機械だった。遺跡から発掘されるロストテクノロジィそのものである。
だが、彼にはそれが遺跡からの発掘品でない事が一目で分かった。
「こりゃ…おまえが向こうから持ってきた、MDうぉーくまんとか言う奴じゃ…」
「……あげる、よ」
メイの声は、小さくかすれていた。
「ああ……もう、いかな、きゃ……」
「メイっ!!」
メイはシオンに目を向けると、ゆっくりと、美しく微笑んで見せた。
その微笑みは、年齢を重ねたものだけができる、美しい微笑みだった。
「…………」
「また、ね、シオン…………………………」
ぱったりと音がして、手がシーツに沈んだ。
そのまま、彼女は動かなくなった。
シオンは彼女の手を取ると、額に押し当てて泣いた。
未だ、暖かい。でも、この手はもう動かない。
「また、残された」
シオンは小さくつぶやいた。考えが口からもれていることに、気付いてない様だった。
手を握ったまましばらくそうしていると、後ろから声がした。
「……逝ったのか?」
「……セイル!?」
そこに立っていたのは、クラインの前国王・セイリオス=アル=サークリッド一世であった。今でも賢王と名高いが、その地位はすでに息子に譲っている。
「……皮肉なものだな。
彼女の方がずっと年は下だったのに、彼女の方が先に行くとはね」
「ああ、皮肉だ。
…もとは、キールの間違いで召喚されただけだったのに……。
まさか、こいつが創造魔法を復活させるとは、あの頃は思いもしなかったぜ?」
「まったくだ」
ふたりは顔を見合わせてクスクスと笑った。
「メイ」
セイリオスは穏やかに眠るメイに近付いて手を取ると、その甲に軽くキスをした。
「安らかに、眠ってくれ」
「…………」
「シオン、王宮に伝令を飛ばしてくれ。これだけの事をしてくれた、私の友だ。
国葬とまではいかなくても、せめて国の手で葬りたい」
「……そうだな。
メイを知っているメンツを呼び寄せて、葬式でもやろうぜ」
シオンは魔術の鳥を羽ばたかせながら、ニヤリと笑みを浮かべた。
「さて、久しぶりに飲みにでも行くか?」
「こんな日におまえって奴は……」
セリアン家を出ると、伝令を見た幾ばくかの兵士たちが集まっていた。
その兵士に一瞥をくれると、シオンとセイリオスは街に向かって歩き出した。
「メイや、昔の仲間を偲んで、さ。な?」
「……今日だけだぞ」
二人の老人が歩くその姿は、かつて若者であっただろう姿を想像させた。
2日後、国葬ではなかったはずの葬式に、大勢の人々が集まり、亡き人を偲んで泣いた。
段に飾られた絵には、若かりし頃の彼女が明るく笑っていた。
彼女が愛した、緋色の魔導士と共に。
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