Detective Conan

帝丹小の一日


















「博士ー!」
 俺は博士に聞こえるよう、出来るだけ大きな声で叫びながら中に入った。
 研究の真っ最中だったりすると、ぜんぜん気付いてくれなかったりするからな……。
「はーかーせー。いないのかな?」
「どうしたの、工藤君」
「うわっ!」
 慌てて振り向くと、そこには灰原がいつもどおりの無表情で立っていた。
 け、気配を感じなかったぞ………。
「博士ならいないわよ。お客さんとの取り引きがどうとかで、今朝早く出かけていったもの。もうしばらく、帰らないんじゃないかしら」
「え、ホントに?あっちゃー……」
 取り引きじゃ、しばらく待たないと無駄だろうな……。
「何しに来たか知らないけど、待つより明日来たほうが賢明よ」
 灰原は静かにそう言って、ソファに腰掛けた。本を読んでいたところだったようだ。
 しっかし、表情かわんねぇよなぁ……。
 たまには笑うとか怒るとかすりゃいいのに。
「そうしてじろじろ見ていないで、座れば?」
「へ?」
 灰原が指差したのは向かいのソファだった。
「あ、ああ……」
 俺は言われるままに腰を下ろした。
 なに読んでんだ?
 ………外国の科学系雑誌だ。さすが科学者。
「何?」
 俺の視線に気付いたらしい。雑誌をひざの上に降ろし、顔を上げる。
 やっぱり表情が変わらない。
「いや、別に」
 そう答えて、俺はソファに身を沈めた。
 服部や博士といるときもそうだが、彼女といるときも、俺は「工藤新一」でいられる。
 「江戸川コナン」を出さなくて良い時は、気が楽でいい。
 そうこうしているうちに、寝てしまったらしい。ふと気がつくと、辺りはすっかりと暗くなっていた。
 うわ、やべぇ。蘭が怒る、だろうなぁ。
「良く寝てたわ。疲れてたみたいね」
 後ろから灰原の声がした。振り向くと、お盆を持った灰原が立っていた。
「博士、今日は帰れないかもしれないっていう電話があったわ。どうする?」
「んー……とりあえず、博士に直してもらった筈の変声機を返してもらおうかと思ったんだけど……明日にするかなー」
 しゃーねー。今日は帰るか。
 そう思って立ち上がると、灰原が呼びかけてきた。
「ご飯、食べてかない?」
「へ?」
 テーブルの上を見ると、土鍋からほかほかと湯気が立っている。
「博士が帰ってくるだろうと思ってたから、一人分にはちょっと多いのよ」
「ふーん……そうだな。じゃあいただくか」
 俺はおとなしく食事に呼ばれることにした。たまにはいいかな。
 食卓には土鍋とサラダが乗っている。土鍋は……おじや?
 灰原を見ると、彼女は少し笑って言った。
「むかし、姉さんに教わったの。作るのは久しぶりだけど……」
 その微笑みは、すごく幸せそうに見える。
 ふーん、こんな顔も出来るのか……。
 半熟になっている卵の部分を入れ、おじやを茶碗に盛ると、灰原は俺の前においてくれた。
「いただきます」
 湯気が立っているそれを口の中に少しだけ放り込む。
「……うまい」
 家庭の味、と言うやつだと思う。
 母さんがどちらかと言うと西洋料理が得意だったから、これを食べるのはかなり久しぶりだと思う。…正直、母さんが昔作った料理より、うまい。
 顔を上げると、灰原はさっきの微笑みを浮かべていた。
「ありがと」
 …………。
「どしたの?」
「おまえさ。いっつもそう言う顔してれば、可愛いのに」
 口から滑り落ちるように出た言葉に、俺自身が驚いてしまった。
 な、何言ってんだ、俺。
「口がうまいわね、工藤君」
 灰原は微笑みをいつもの冷笑ともいえる笑みに切り替えて、黙々と食べ始めた。
 しまった……。
「い、いや、別に他意はないんだけど、さ……」
 俺もそう言って黙々と食べる。
 奇妙な雰囲気の食卓に、俺は少し居心地の悪さを覚えた。
 食べ終わると、使った食器を流しに置き、俺は玄関に向かった。
「じゃ、俺、帰るな。博士によろしく」
「わかったわ。じゃ」
 灰原は俺に一瞥をくれると、あっさりと台所に消えた。




 家に帰ると、予想通り、蘭が怒っていた。
 連絡すんの、すっかり忘れてた………。
「2年生になったからっていっても、連絡はちゃんとしなきゃ」
「ごめんなさい」
 子供らしくきちんと謝って、俺は自分の部屋に戻った。
 明日の用意をしながら、ふと自分の思考に浸る。
 俺が「江戸川コナン」になってから、すでに1年が経過した。
 帝丹小の1年に編入した俺は、しっかり進級して2年生になっていた。
 ……俺、いつまでこの姿でいなきゃいけないんだろうな…。
 仕方のないことだとは判っていても、もれるため息を止めることは出来ない。
 明日の授業は算数と国語と理科。それから体育。
 数学じゃなくって算数だもんな。宿題だって……「1×1=」だってさ。1に決まってるじゃねーか。
 俺はベッドに体を放り出し、天井を見詰めた。
 そのうち、俺が「工藤新一」であるのか、「江戸川コナン」であるのか、わからなくなりそうだ。
 今はいない、工藤新一。
 俺は、誰だ……?


 次の朝。
 いつものように家を出る。
「ほら、コナン君。お友達が手を振ってる」
 蘭が指差した先には、いつものメンバーが大きく手を振っていた。
「うん、じゃあ行ってくるね」
 子供らしい喋り方で蘭に答え、俺は彼らのもとへと走った。
「よぉ」
「おはよう、コナン君」
「おっす、コナン」
 口々に出てくる挨拶の言葉に軽く答え、歩き始める。
 彼らはいつものように、昨日のヤイバーの話やアニメの話を楽しそうにし始めた。
 俺は少し後ろからついて行く形を取った。
「まだ疲れているみたいね」
 隣を歩いていた灰原が、そうそう言葉をかけてきた。
「まぁな」
 短く返すと、会話が終わってしまった。
 別に話す必要も無いので、俺も黙っている。
「あ、そうそう。博士あの後帰って来たわ。変声機のほうは、調整がいまいちだからもう少し待ってくれって」
「なんだ、まだなのかよ。わかった…あ、昨日のおじや、うまかったぜ。今度作り方を教えてくれよ」
「そのうちね」
 灰原はいつものようにそっけない返事を返したが、その返事に反応したのは前を歩いていた筈の歩美だった。
「なに?今の、おじやがおいしかったって!」
 少々険の入った声で歩美が詰め寄ってくる。
「き、昨日博士んとこでおじやをごちそうになったんだよ…」
「おじや?もしかして、灰原さんの手作り!?」
 今度は灰原に詰め寄る。
「ええ」
「コナン君、まさか二人っきりでおじや食べたのっ!?」
 もう一度俺にに詰め寄ってきた。先ほどよりも険が入っている。
「う、うん、まあ」
「えーーーーーーっ!?」
 俺がなおざりに答えると、歩みは耳につんざくような大声で叫んだ。
 勘弁してくれ。
「どーしてーっ、どーして二人っきりなのっ!?
 あたしがクッキー焼いた時には来てくれなかったじゃない!」
 何で俺が小学生の焼いたクッキーを食べに行かなきゃいけねぇんだよ!
 なんて答えようかと思っているとき、灰原が横から手を出してきた。
「冷静になりなさいよ。彼に詰め寄っても嫌われるだけよ」
 軽いしぐさで俺から歩美を引き剥がした。そこまでは良かったが……
「彼は別に私に会いに来たわけじゃないわ。博士に会いに来たの。夕食はそのついでよ。
 さ、行きましょ、江戸川君」
 灰原は俺の腕を取ってさっさと歩き始めた。
 おいおい、逆効果じゃねぇか?
「そうそう、あの変声機、少し改良すればもっと精度が上がると思うの」
「え、そうなのか?」
「ええ。外部マイクと外部スピーカーとか使えば、もっと楽に推理とかに使えるとおもわない?」
「そうだよな……いっつも推理のたびに隠れているわけにもいかねぇし…」
 話を逸らされたなーと思ったのは、教室に入った後の話だった。




 あれから、歩美は徹底的に灰原を敵視していた。何考えてんだ。
 灰原はいつもどおりだ。
 そして、元太と光彦は俺を敵視しているようだ。
 ったく……やっぱりこじれちまったじゃねーか。
「コナン君、欠席扱いにして良いのかな?」
 げっ、名前呼ばれてたのか。気がつかなかった。
「ご、ごめんなさい」
「ちゃんと聞いているようにね」
 小林先生は一時期の事件の後、かなり人当たりが良くなった。
 …なんだろう、今日は奇妙な違和感を感じる。
「さ、1時間目は算数ね」
 そう言われて、俺は思考を中断することにした。
 気のせいだろ、きっと。


 滞りなく午前の授業を終え、給食を食べ終えると昼休みに突入した。
 俺の周りの視線が、やたら痛い。
「おい灰原、少し離れろよ」
「あら、どうして?」
 唇の端をあげて僅かに笑う灰原に、俺は確信犯を見た。
 わ、わざとだな、朝の一件も……。
 なに考えてんだよ、まったく。
「ちょっと、灰原さんっ」
 ほら、来た。
 振り向くと、歩美が仁王立ちになっている。
「なに?」
 俺の肩に右手を置き、灰原はにっこりと笑ってみせた。
 おいーーーーっ!
「…コナン君のこと、好きなの?」
 は?
「そうね…好きよ」
 え?
 ま、まて、何の話になってんだよ!
「じゃ、あたしたちライバルって事よね!
あたしっ、コナン君のこと、こーーーーんだけ好きだからねっ!」
 と、歩美は手で大きな円を描いてみせた。
「じゃ、私はこれくらい好きよ」
 灰原は俺の顔に手をかけ、顔を近づけてきた。
 ………。
 ……………っ!?
 ちょ、あ、い、今のって……
 灰原はいつもどおりのクールな顔で、俺から唇を離した。
 うるさかった筈の教室が、やけに静かだ……。
「あ、あたしだってこれくらい好きだもんっ」
 歩美も顔を近づけてくる。
 ちょ、ちょっとっ……。
 ………。
 俺は呆然と二人を見つめた。
 二人は、何だか火花を散らしているようでも在ったが、俺はそんなことに構ってられなかった。
 冗談じゃねぇ!
 俺は思わず教室を飛び出していた。


 ああっ、なんだってんだよ、いったい!
 飼育小屋近くまで来て、俺は腰を下ろした。
「江戸川君」
「あ……小林先生」
 彼女はニコリと微笑んで俺の隣に腰を下ろした。
「見てたわよ。もてるわね、江戸川君」
「そ、そんなんじゃ……」
 ない、とは言い切れないが、あるとは言いたくない。
 灰原はともかく、小学生にもてても嬉しくはない。
「どうしたの?なんだか、疲れているみたいね。モテすぎて?
 それとも…別の原因かしら」
 さすが教師、と言えばいいのだろうか。
 それとも、そんなに疲れた顔をしてるのかな、俺。
 だけど、この悩みを小学校の教師に言っても仕方ねぇしなぁ……。
「何も聞かなかったことにしてあげるから、言ってご覧なさい。
 言うだけでも、心の重みがだいぶ違ってくるわよ」
 そう言われて、俺は納得した。
 当たり障りないように、悩みを打ち明ける。
 この状況に馴れてしまいそうで恐いこと。
 自分が自分でなくなってしまいそうなこと。
 ……詳しく話しもしないでこんなこと言ったって、頭がおかしいと思われて終わりかもしれない。それ でも、俺は言わずには居られなかった。
 というより、次々と口から零れてしまった、ということかもしれないが。
 ところが、小林先生は笑うでも疑うでもなく、俺の頭をなでてくれた。
「よくがんばったわね、江戸川君」
 俺は呆然と彼女を見上げた。
「大丈夫、きっと何とかなるわ」
 その言葉は無責任極まりなかった。なんとかなるわけ無い。
 それでも、俺の心はその言葉に強く助けられていた。
「……ありがと、先生」
 単なる慰めだと判っていた。
 それでも、俺は嬉しかったから。
「でもね、江戸川君。一人で頑張ることはないのよ。江戸川君には、お友達だっていっぱい居るでしょう?元太君も、光彦君も、歩美ちゃんも、哀ちゃんも。みんな、江戸川君を支えてくれる筈だわ」
 ハハ…今は無理かもしれないけどな。
「どんな人間だって、一人じゃ生きていけないんですもの。
 たまには、誰かに寄りかかるのも良いものよ」
 小林先生は、そう言って俺の肩を抱き寄せた。
 変な意味じゃなく、女性の感触って言うのは時々絶大な効果を発揮する。
 心が、休まるのだ。そう、母に抱かれているように。
「ほら、お友達が探しに来てるみたいよ」
 そう言われて、俺は顔を上げた。
 …灰原と、歩美?
「さ、行っておあげなさい」
「…はい。ありがとうございました」
 俺はぺこりと頭を下げ、彼女たちのもとへと走った。
 だから、その後先生が呟いた言葉までは、聞くことが出来なかった。


 彼女は言っていた。
「クソ生意気なガキの落ち込んだ姿なんて、見たくないぜ」
 聞いていれば、一発で判ったのに。


「コナン君!」
「江戸川君」
 駆け寄ると、二人は同時に頭を下げた。
「な、なんだよ」
「ごめんなさい。ちょっとふざけ過ぎたわ」
 灰原が真面目な顔でそう言った。
「あのね、哀ちゃんと仲直りしたから!だから、だからね……」
 歩美が涙ぐむ。
 支えてくれる、か………そうだな、そう言うのも良いかもしれない。
「もう、良いよ」
 俺がそう言うと、歩美は全開の笑みで笑った。
 灰原も微笑んでいる。
 もうしばらく、小学生をやるのも、悪くないか……。






 やっぱり、高校生に戻りたい。
「コナン君、聞いているんですかっ!?」
「コーナーン、一人でいい思いをしやがってーーーーっ!!」
 さっきっからずっと、二人して追いかけてくる。
 疲れるってことを知らないのか、お前らはっ!!
「冗談じゃねぇ、来るなーーーっ!」
 という叫びも、むなしい。
 絶対、絶対高校生に戻ってやるっ!!








Fin.






















 追記。
 翌日学校に行った俺は、とんでもないことを聞かされた。
「ごめんなさいね、昨日は休んじゃって」
 昨日は……休み!?
「先生、なに言ってるの?昨日学校に出てきてたじゃない。ちゃんと授業もやってたし…」
「何を言ってるの、歩美ちゃん。昨日は40度を超える熱が出てね。授業どころじゃなかったのよ」
 お、おいおい、まさか……。
「さて出席を……あら?」
 出席簿の間から、一枚のカードを取り上げる。
「何かしら、これ。なになに、かるいいたずらのつもりでしたが……」


『軽い悪戯のつもりでしたが、たまにはこうして
 子供と接するのも良いものですね。

            時には小学校教師の怪盗キッド』


 か、か、か……
「怪盗キッドーーーー!?」
「うそっ、昨日の小林先生、怪盗キッドだったのっ!?」
 ってことは、あの昨日の悩みを打ち明けた人は……
 うそだろーーーーーーーっ!?
「すっかり、騙されたわね……」
 灰原がポツリと呟いた。
 騙された……寄りかかったのに、全然気付かなかったなんて……この俺が……。
 くっそーーーっ、絶対捕まえてやる、あの野郎っ!










Index